バクラウ 地図から消された村 ~ 用心棒に頼らない村人たち

渋谷のシアター・イメージフォーラムにて、「バクラウ 地図から消された村」というブラジル映画を観ました。2020年のカンヌ映画祭で「パラサイト 半地下の家族」と賞を争った作品とのことで期待値が高かったのですが、実際に期待を裏切らない作品だったので紹介しておきたいと思います。

バクラウ 予告編

七人の侍

バクラウを観たあとの率直な感想は、「黒澤明監督の『七人の侍』にどこか似ている雰囲気があったなぁ~」でした。とはいえ、もちろん七人の侍のブラジル版というような文脈で語れる作品ではありませんでした。根本的な部分において、七人の侍とは異なるのです。

作品のなかに印象的なセリフがあります。

「バクラウには警察はいないのか?」という疑問に対して、ある人物が「ここには警察はいない」と答えるのです。「え?警察がいない?ってどういうこと?それで大丈夫なの?」と観客なら誰もが疑問に思うはずです。しかしそれにも関わらず、作品の中では「警察がいない」ことが当たり前田のクラッカーなのです。

警察は便利な存在です。先日、わたしの自宅の目の前に新築のマンションが建ちまして、そこの住人がコロナ禍のリモートワークで深夜までずっと仲間と話しながら仕事をしているんですが、その声がうるさくて寝られないんです。(もしかしたらZOOM飲みなのかも。)

だから「おーい。窓しめて会話してくれ~」とかなり大声で話かけるのですが、全然ダメ。向こうの声は聞こえるのに、こちらの声はなぜか向こうには届いてくれないのです。

騒音ぐらいで警察の出動をお願いするのはちょっと・・・と思って、そこのマンションの管理会社に問い合わせたのですが、「コロナで出社人数を制限しております。」というようなアナウンスが流れるだけで、まったく電話がつながりません。

そこで騒音がうるさくてなかなか寝つけない深夜0時頃、やむなく警察の出番をお願いすることにしました。警察はマンションの間取りを調べて部屋番号をつきとめ、その住民に注意をしてくれたみたいで、わたしは平穏な日常を取り戻すことができました。

便利な警察の危険性

繰り返しになりますが時に警察は便利な存在です。とはいえ・・・・国家権力の矛先が自分にも向けられる可能性はいつだって否定できません。

例えば2021年1月中旬~下旬のある金曜日のことです。六本木交差点にある交番の目の前のスペースで、警察が20人くらい集まっていました。「事件かな?」と思って何をしているのかよーく観察していると、20人くらいの警察官たちが「緊急事態宣言中ですので、自宅に帰りましょう。」という呼びかけをしていたのです。

呼びかけをしているメンバーを観察してみるとほとんどが若手だったしやる気もなさそうだったので、「なぜ?警察官になってこんなことをやらないといけないの」と思いながら任務を遂行していたのでしょうが、、、、、守る対象が総理大臣になると話は変わってきます。

例えば安倍晋三首相の参院選の街頭演説中にヤジを飛ばした札幌市の男性(31)らを北海道警の警察官が取り押さえて排除した事件がありました。(補足:2021年2月15日現在、排除された男性側が法的根拠を欠いた「暴行」、「逮捕監禁」であるとして裁判を起こしています。)

仮に行政側がメチャクチャな統治をして、それに納得できない住民がそれを正そうとするならどうすればいいのでしょうか?

映画「七人の侍」では、圧政に苦しむ村人は「用心棒を雇ってなんとかしてもらおう」という結論に至ったわけですが、残念ながら現実問題として、行政側である警察が住民側に協力してくれることはないでしょう。

ではどうするか?

そう。「自分たちを守るのは、自分たちしかいない。」という結論に至ったのが、バクラウの村の住民たちなのです。

法外の正義を貫徹せよ

国家権力に頼れない以上、というかそもそも国家権力が敵である以上、「法」に訴えることはできません。なぜならばそもそも「法」自体、国家権力側のコントロール下にあるからです。

法に頼れない以上、法の外にある「法外の正義を貫徹する」しかないわけですが、バクラウという作品はその点を描いているのです。

特に注目すべきは、俳優の「佇(たたず)まい」です。こればかりは言葉で表現することができません。法の周縁に生きるものたちが醸し出す独特の雰囲気を味わうだけでも、バクラウという作品を観る価値があると思います。