背が低いけど日本一

2018年の男子サッカー選手日本一が決定しましたね。筋肉ムキムキのクリスチャーノ・ロナウドでもなく、神の子メッシでもなく、今年はルカ・モドリッチというクロアチア出身の選手がバロンドール(世界一の称号)を勝ち取りました。

ルカ・モドリッチの軌跡

で、、、ルカ・モドリッチという名前を聞いても、サッカーファンにしかピンとこないと思うのですが、ルカ・モドリッチ選手が世界一になるまでの歴史には学ぶことが多いので少し紹介したいと思います。

祖父を殺される

ルカ・モドリッチ選手はクロアチアのモドリッチという村で生まれました。(クロアチアでは村の名前を家族の姓とするのが一般的)

子どもの頃にクロアチア内戦があり、故郷は戦場と化しました。祖父はセルビア軍に殺されました。家族はザダルという町に非難し、難民が暮らすホテルで仮住まいすることになります。

モドリッチの希望は大好きなサッカーしかなく、難民キャンプでもずっとサッカーを続けていたのですが、10歳の頃、大きな挫折を味わうことになります。

不合格、その理由は・・・

モドリッチはクロアチアの有名なチーム、ハイドゥ・スプリトのテストを受けるのですが、、、結果は不合格。その理由は「カラダが小さいから」でした。

モドリッチは落胆しますが、この経験で強くなります。「僕はカラダが小さいから、他の人よりも努力しないとダメなんだ。」と決意を固めるのです。

そして16歳の時、ディナモ・ザグレフのユースチームに加入し、18歳でトップチームへの昇格を勝ち取るのです。

しかしまたしても苦難が待ち受けているのでした。

ライバルは天才

ニコ・クラニチャールという同じポジションを争う同年代の選手が「天才」だったのです。ポジション争いに負けたモドリッチはレンタル移籍でクラブを追われることになります。

でも、、、、モドリッチは諦めませんでした。そして生き残るために出した結論は、、、、「自分が進化すること」でした。

当時は典型的なトップ下のポジションを得意とする選手だったのですが、レンタル移籍先のチームでは、チームのためにハードワークができるオールラウンダーの選手に進化したのです。生き残るために、攻撃だけでなく守備もこなせる選手になることを決めたのです。

その後はレンタル先のクラブでリーグMVPになり、レンタル移籍も解消。元の所属先だったザグレフに戻り、中心選手として活躍したのちに、2008年にはプレミアリーグ(イギリス)のトッテナムに当時のクラブ最高額37億円で移籍します。

そしてトッテナムでは、かつてのライバルニコ・クラニチャールと再びポジション競争を強いられるのです。

天才を上回る

再び同じチームで再開したニコ・クラニチャールとルカ・モドリッチですが、トッテナムでの立場はすでに逆転していました。

ルカ・モドリッチがレギュラーに定着する一方で、かつての天才ニコ・クラニチャールはベンチを温める機会が多くなっていくのです。

そして2012年・・・・現在も活躍しているレアルマドリードへの移籍を果たすのです。

ルカ・モドリッチからの教訓

ルカ・モドリッチから学べることは多いです。一時の評価なんてものは水物だということを教えてくれるし、生き延びるために進化する必要があることも教えてくれます。

しかしわたしが一番今日伝えたいことは「原動力」となるものです。

ルカ・モドリッチの原動力

ルカ・モドリッチのインタビューでこんな言葉があります。

戦争で苦しんだ後、クロアチア人はより強く、よりタフになった。あの経験は生半可なものではなかったんだ。僕たちを打ち負かすことは簡単ではないし、僕は努力し成功を収められることを示す断固たる決意がある。 【バロンドール授賞式】

深い絶望から立ち上がった人は強いです。あなたには絶望した経験はありますか?重要なポイントは「絶望」を出発点にして、さらに絶望から「立ち上がる」という点です。

あなたにも多かれ少なかれ絶望した経験があるはずです。「●●したら幸せになれる」という他人から教えられて何となく信じていた言葉が幻想だったことに気づいてショックを受けたことがわたしにもありますし、あなたにもあると思います。

その絶望から出発してください。くれぐれも絶望の沼に溺れて「どうせわたしなんて・・」と腐らないように。