自分への説明責任について考える

菅義偉首相は自らの政策理念として「自助、共助、公助」を国の基本とした社会像を描いていますが、国民がそういう社会を望むためには、少なくとも中央省庁が握っているさまざまな「権限」を地方に委譲するだけでなく、権力者が現実的に「自助、共助、公助」を体現している必要があります。

しかし現実には、菅義偉総理は官房長時代の7年8カ月で総額86億8,000万円を「自分自身のために」支出しており、その金額は1日307万円になるとのことです。そのことは過去に『1日307万円のお小遣い』について取り上げた記事の中で紹介しました。

もちろん政治の世界においては、「国民にイチイチ説明する暇はない」というケースもあるでしょう。しかし本当の問題は、「永遠に説明責任から解放されている」という点にあります。

日本人は政治家の「説明するのは適当ではない」という発言に慣れてしまっていますが、説明責任を『永遠に』逃れることができるというのは日本ならでは特殊事情であり、実は政治だけではなく経済活動においてもそうなのです。

日本は資本主義か?

日本で、「会社は誰のもの?」という質問をすればほとんどの人は「会社のなかで権力を握っている人」と答えるに違いありません。事実、株式会社に勤めている日本人サラリーマンの多くが「会社は株主のもの」という資本主義の基本はあくまでも「タテマエ」であると感じているはずです。

しかしアメリカにおいては、本当に「会社は株主のもの」という感覚が一般的です。会社の取締役を指名するのはあくまでも「株主」です。社長を含む取締役会のメンバーには「株主の利益のために」働く義務があります。

その一方で日本では「会社は、会社の実権を握っている人たち」のものであり、会社の取締役は「自分たち」が決めます。また社長を含む取締役会のメンバーは「株主の利益のため」よりも「会社の存続のため」とか「シェアを拡大するため」という目的意識のほうが強かったりします。

繰り返しになりますが、アメリカ人が想像する「資本主義」社会において、会社はあくまでも「株主」のものなのです。しかしそうではないのが日本です。

日本人が北朝鮮民主主義共和国のことを「民主主義ではない」と感じているように、アメリカ人は日本という国を知れば知るほど、日本という国は「資本主義ではない」と確信するようになるのです。

訴えられるプレッシャー

資本主義アメリカにおいて、会社経営をしている雇われ社長や取締役会のメンバーには「説明責任」がつきまとうのが一般的です。取締役会で決断したことについて、合理的な説明ができない場合には「訴えられるかもしれない」という不安が現実のものになるでしょう。

そう。アメリカにおいては「訴えられるかもしれない」という強い不安が、腐敗や非合理的な行動を回避するブレーキになっているのです。しかし日本では、そのようなわかりやすいブレーキはありません。都合の悪いことは隠すのが日本における一般的な作法になっています。

そもそも日本には「企業は独立した第三者機関から再検討を加えられなければならない」という考え方そのものがないのです。

そのことを故・小室直樹博士は「日本の公認会計士は、ドロボーに雇われた裁判官だ」という風に、わかりやすく説明しています。

アメリカにおいて公認会計士の雇い主は株主です。公認会計士の仕事は経営者たちの働きぶりを評価し、雇い主である株主に報告することですから、経営者に不利になることでもちゃんと報告するのが当たり前です。

しかし日本において公認会計士の雇い主は「経営者たち」です。経営者たちに雇われた公認会計士がはたして、経営者たちに不利になることを積極的に報告するだろうか?(いやするわけがない)というのが、故・小室直樹博士が指摘したことなのです。

さて、ここからが今日の本題です。

自分への説明責任

日本では「他者に対して説明する必要がない」ということをお話してきたわけですが、おそらく個人にも当てはまる問題なのではないかと思います。「なぜ?自分は、今それをするのか?」ということにあまりにも無自覚な人が多いと思うのです。

現在のあなたは、未来のあなたへの説明責任を負っています。もし説明責任を果たさなければ、現在のあなたは未来のあなたから厳しく追及されるハメになるでしょう。