アルフレッド・アドラー(精神医学・心理学界の重鎮)は、「すべての悩みは対人関係の悩みである」という言葉を残していますが、古くは古代ギリシャの時代から人間関係をテーマにした文が発見されるほど「人間関係の悩み」は、生きる人にとって最重要かつ永遠のテーマになっています。
夫婦関係がうまくいかないと、たくさんの悪影響があります。それにもかかわらず、社会活動で疲れた心とカラダを癒せるはずの家(ホーム)にいるのに「楽しくない」、「夜も眠れない」というストレスを蓄積した結果、「家に帰りたくない」、「できるなら離婚したい」と頭を抱えている人も珍しくありません。
また夫婦関係は子どもにも悪影響を与えることがあります。何事に挑戦することができるのも「失敗しても帰れる家(ホームベース)があるから」です。ホームベースがない場合、自己肯定感の低い子どもが育ちやすいのです。
なぜならば家庭環境の悪化が、自己肯定感を育む「試行錯誤」による「尊厳」と「承認」のメカニズムを阻害するからです。
自己肯定感は・・・①思考錯誤して、②他者に認められることで承認欲求を満たしながら、③少しずつ『失敗しても大丈夫だ!次も頑張ろう!!』と考えるプロセスで生まれます。
しかし・・・・「家(ホームベース)」が機能を果たしていない場合、「試行錯誤」による「尊厳」と「承認」のメカニズムをうまく回せないのです。
具体的には・・・・・①「家に迷惑をかけたくないからやりたいことを我慢する」、②成功した場合に「頑張ったね!!!」とほめてもらえない、失敗した場合に「残念だったね。でも次頑張ればいいじゃない?」と声をかけてもらえない、③成功した場合に「次も頑張るぞ」とか、失敗した場合に「次こそは頑張るぞ」と考えることができない・・・というような状況に陥ってしまうのです。
「試行錯誤」による「尊厳」と「承認」のメカニズムを回せないことによる弊害は、もちろん・・・子どもだけでなく、あなたにも悪影響を与える可能性があるのです。だからこそ「なんとかしてほしい・・・・」という願いを込めて『夫婦仲改善ガイド』を執筆しました。
はじめまして。ライフコーチとして「社会に役立つ力を鍛える」活動をサポートしているの坂本輝(さかもと あきら)といいます。具体的にはセルフコーチング・お金やビジネスのやり方・人間関係を構築するコツなどを伝授しています。(詳しい自己紹介はコチラ)
わたしの父は典型的な九州男児で、男尊女卑が当たり前・・・という感覚の持ち主でした。また母も九州の出身だったので「父の一歩後ろを歩く」という昭和の作法を実践していました。父は母に暴力をふるうことは一度もありませんでしたが、そのかわり極度のモラハラ夫でした。(当時は『モラハラ』という言葉すらありませんでしたが。)
父の母への当たりは信じられないくらい強かったので、わたしが物心ついた頃(たぶん4、5歳ぐらい)に母が「あきら。。。あなたが大きくなったらお母さんは絶対にお父さんとは別れるからね。」と涙ながらに語っていたことが今でも記憶に残っています。
しかし母が父との離婚を決意した12年後・・・・突如として父の不倫疑惑がもちあがり、父が「全財産あげるから離婚してくれ!!」と母の前で土下座するというショッキングな状況を目の当たりにしたのですが・・・母の答えはなんと・・・・「離婚はしません!!!」でした。
そして父の土下座から長い時間が経過していますが、現在・・・・父と母は一つ屋根の下で仲良く(?)暮らしています。
子どもだった頃のわたしからすれば夫婦関係というものはなんとも奇妙で理解しがたいものでしたが、自分が大人になりライフコーチとして様々な方々からの相談を聞いているうちに、夫婦関係だけでなく人間関係というものは(良くも悪くも)「絶対的なものではない」ということが実感としてよく理解できるようになりました。
悪い人間関係は破滅をもたらしますが、よい人間関係は祝福をもたらしてくれます。あなたを罠にハメようとする詐欺師も人間ですが、孤独を癒してくれるのも、成長させてくれるのも、困ったときに助けてくれるのも、特別感を演出してくれるのも全部「人間」なのです。
しかし人間関係を積極的に構築することの難易度は年々上昇しているのです。その理由は「インターネット&スマホ社会」にあります。同じ屋根の下で暮らしている夫婦や家族でも、お互いが感じている現実を共有するのが難しくなっているのです。
以前、金沢の有名なおでん屋で行列に並んでいるときに20代前半くらいの女性3人の会話が聞こえてきたのですが、共通の話を探すのに苦労していました。女性のひとりが「●●っていうYouTuber知っている?」と切り出せば他の2人は「知らない」と回答し、別の女性が「●●っていうアーティスト知っている?」と切り出せば他の2人は「知らない」と回答するといった具合です。
週末に外出中の夫婦やカップルを観察すれば、お互いが手元にあるスマートフォンを観ている・・・というのはよく見かける光景です。そう。物理的に同じ空間にいるはずの人間たちですら、お互いが認識している「目の前の現実」が異なっている・・・ということが珍しくもなんともない時代になっているのです。
「目の前の現実」が異なっている・・・・だから夫婦関係にどのような関係があるの???と、あなたは疑問に思うかもしれませんが、これがかなりの大問題なのです。詳しく説明します。
「あの人はなぜ●●なのだろうか?」と疑問に思ったことがないでしょうか?
●●のなかには「楽しそう」とか「悲しそう」といった感情をあらわす言葉や、「コロナが怖い(怖くない)」というような認識をあらわす言葉が入ります。
そう。コロナ禍において多くの人が、同じ状況に直面しているはずなのに、別の世界に生きているかのような行動をする人たちの存在を自覚したはずなのです。なぜそのような状況が生まれるのでしょうか?
その答えはズバリ、人の数だけ『現実』があるから、です。これは認知科学という学問の成果であり、現代人であれば必ず理解するべきことであり、当然、「できることなら夫婦の絆を深めていきたい!!!」と願うあなたも理解しておく必要があることです。
認知科学「以前」は、一つの現実があり、その一つの現実の上にみんな生きているという常識がありました。しかし認知科学「以後」は、人の数だけ「現実」がある、という理解が常識になっているのです。
あなたは驚くかもしれませんが、「地球は平ら」であることを真剣に主張する人たちのグループがあります。反論するのは簡単か?実はそれほど簡単ではありません。なぜならば地球は人間にとっては大きすぎるので、本当に球であることなど宇宙飛行士でもない限り、自分の目で確認することができないからです。
同様に「コロナウィルスなんてこの世にない」と真剣に主張する人たちもいます。反論するのは簡単か?実はそれほど簡単ではありません。なぜならばコロナウィルスは小さすぎて人間の目には見えないからです。コロナウイルスを顕微鏡で確認した経験のある人はほとんどいないはずです。
しかしあなたは実際に目で見たわけでもないのに、「地球が丸い」ことを信じているでしょうし、「コロナウイルスはある」ことも信じているでしょう。そう。わたしたちは直接この目で確認したわけでもないたくさんのことを信じているのです。
さて・・・人の数だけ現実がある・・・という話をしたわけですが、この話が「夫婦関係の悩み」と、どのように関係しているのでしょうか?
人の数だけ現実がある、という話をした理由は、「人間は情報的な存在」であることを本当に理解してほしかったからです。そのことを理解してもらわないと、本レポートで伝えたいことが理解できないのです。「人間は情報的な存在」とはどういうことでしょうか?
例えばインドのカースト制度のなかで生きている人は、最下層にいる人たちですらそこから抜け出そうと思っていません。なぜならば「現世で苦しければ苦しいほど、来世で幸せになれる」ということを信じているからです。
人間は頭のなかで構築した世界を「現実」だと認識して行動しているのです。ここで重要なポイントは、頭のなかで構築した現実は、あくまでも「情報」だということです。
生まれた瞬間に「カースト制というものがあって、自分は最下層にいるので、現世では苦労しなければいけない。」とういうことを理解している子どもなどいないはずです。
しかし両親や教師から「そういうものだ。」と教えられて、その結果、「そういうものだ。」と受け入れた情報が、本当に子どもにとっての「現実」になってしまうのです。
例えば家庭で「マーガリンは毒」と教えられた子どもは、給食でも「今日の給食に出てくるマーガリンは毒なので食べません」と堂々と主張するようになるのです。
「今日の給食に出てくるマーガリンは毒なので食べません」と申し出た子どもがいた。嫌いな食べ物を無理矢理に食べさせる指導は元々していないので、その子は食べなかったのだが、周りの子はその言葉に動揺していた。
僕は学校給食の高い安全性を信用している。そして食に関する指導の主戦場は家庭だ。— めがね旦那@小学校の先生 (@megane654321) February 28, 2022
人間は本当に情報的な存在なのです。
そう。わたしたち人間は生まれた時にDNAという遺伝子情報を受け継ぎ、成長する過程で、何が真実で何が真実でないか?ということを「教えられて」育つのです。その集大成がわたしであり、あなたなのです。
「人間が情報的な存在」であることを理解すると、とてつもない可能性に気づくことができます。わたしたちの「現実」はすぐに変えられるのです。なぜか?それは「現実」は情報的なものだからです。
背が小さいとか顔が気に入らないなどの理由で、身長を伸ばしたり顔を整形するとなれば、物理的な手術が必要です。しかしわたしたちの「現実」を変えるのに必ずしも物理的な手術は必要ないのです。なぜか?繰り返しになりますが、「現実」は情報的なものだからです。
例えば「眠い・・・・」と感じているときに、あなたが好意をもっている異性から電話の着信があればその瞬間に眠気は吹っ飛ぶでしょうし、人生つまらないと思っていても宝くじが当たったことがわかればその瞬間に楽しいことを考えはじめるでしょう。
そう。あなたが「人生がつまらない」と思っているなら「人生がつまらない」と考えるのをやめればいいし、「生きるのがツライ」と考えているなら「生きるのがツライ」と考えるのをやめればいいのです。
あなたが「やりたいことがわからない」のであれば「やりたいことを設定」すればいいし、「やりたいことがあっても自分には無理だ」と考えているなら「自分にはできる」と考えるようにすればいいのです。
とはいえそれだけのアドバイスでは、「現実」はすぐに変えられるということを実感できないと思うので、もう少し話を続けたいと思います。
あなたが仕事でクタクタに疲れて電車で帰宅していると、電車内で騒いでいる子どもに遭遇した・・・・という状況を想像してください。当然、あなたは「なぜ誰も注意しないんだ・・・・」とイライラしています。
すると子どもの親らしき男性が、すぐ近くに座っていることに気づきました。「子どもが公共の場で好き勝手に走り回っていいわけがない」、「他の乗客に迷惑をかけていいわけがない」、「子どもがうるさくて仕事のことを考えられない」などと考えれば考えるほど、あなたのイライラは強くなってきます。
あなたは自分と同じようにイライラしている乗客がいないか周囲を見渡しながら、これ以上自分が我慢するよりはむしろ、子どもの親らしき男性に「少し静かにしてもらう」ことを伝えることが自分の使命であるように感じました。「誰も注意しないならわたしが注意しなければ」というわけです。
あなたは子どもの親らしき男性に近づき、「もう少し親としての責任をもって、子どもたちにマナーを教えてあげるべきだ」と伝えました。すると男性はあなたの方を向いてこう答えました。
「申し訳ございません。実は子どもたちの母親がさきほど亡くなって、病院から家に帰るところなんです。これから一体どうしたらいいかわからずボーッとしてしまいました。周囲の方への配慮が足りず、本当に申し訳ございません。」
あなたはつい数秒前まで自分を支配していたイライラした感情がスーッとなくなり、子どもたちと父親に対する感情が、同情や憐みといった感情に変化したのを実感したのでした。
どうだったでしょうか?あなたは『現実』だと思っていたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく可能性というものを実感できたでしょうか?
そして実は・・・・目の前の現実を変えるというスキルを応用すれば、仮に現在のあなたが「自分は不幸だ」と感じているとしても、あなたはあなたを「不幸の沼」から救い出すことだって出来るのです。
なぜわたしたちは不幸を感じるのでしょうか?その原因はわかりきっています。わたしたちが不幸を感じるのは「現在の自分」と「成功している仮想的な自分」を比較し、成功している仮想的な自分に軍配を上げるからです。
ハッキリと断言しておきたいのですが「成功している仮想的な自分」というのは存在しません。それにも関わらず、脳が高度に発達した人間だけは「あの時ああしていたら成功していたはずの自分」というものを想像し、それを現在の自分と比べることができてしまうのです。
「現在の自分」と「成功している仮想的な自分」を比較する・・・という高度な能力はサルやチンパンジーにはありませんので、人間ならではの悩みともいえるわけですが・・・・ちょっと考えてみればその不毛さが理解できるはずです。なぜでしょうか?
そもそも「あの時ああしていたら失敗していたはずの自分」もあり得るのに、失敗していた可能性は完全に排除して、わたしたちは常に「成功していた」ことを想定する傾向があります。もっと成功していたはずの自分と現在の自分を比較するのですから、必ず負けるのは明らかです。
そう。わたしたちは絶対に勝ち目のない比較をすることで、自分で自分を不幸にしているのです。そして勝ち目のない比較をやめれば悩みは消えるどころか、人間関係にもプラスの影響を与えることができるのです。
なぜならば人間は正直なもので、「不幸そうな人」とはなるべく関わりたくないし、どうせなら「幸せそうな人」とつながりたいと考える傾向があるからです。そしてもしあなたが積極的に人間関係にプラスの影響を与えたいのであれば、積極的にあなたの頭の中にある情報を見直すことをおススメします。例えば・・・・
「職場の陰口が多くて本当に息苦しい」と悩んでいる奥さんに、旦那さんが役立つアドバイスをしていました。
マックにて。夫婦が陰口について談話をしていた。嫁さんが「職場の陰口が多くて本当に息苦しい」というと。旦那さんが『人って自分が言われて1番嫌なことを、悪口や陰口を言う際に使うから。この人はこの言葉を言われて傷ついた過去があるんだと見たら。意外と面白いよ』とアドバイス。なるほど…。
— わかめ (@senseiwakame) February 13, 2022
『息苦しい』はずの陰口を『意外と面白いもの』に変えるなんて「ありえない!!!」と声を上げてしまいそうになるようなことでも・・・・・心がけ次第で、本当に実現できるのです。
なぜ目の前の現状を変えることができるのでしょうか?もちろん「自分の考え方」を変えたからです。陰口ばかりの同僚を変えるよりも、自分の頭の中にある情報を見直すことのほうがはるかに簡単なのです。
自分の頭の中にある情報を見直すことは、夫婦の会話をほんのちょっと増やすだけでも実現できることです。例えば・・・
夫婦がお互いに「一体、あの人は何を考えているんだろう?」と疑問に感じる・・・というのはよくある話ですが、わたしたちはよくわからないまま「きっとこうに違いない」と判断する傾向があります。なぜならば「よくわからない状況」自体が、わたしたちにとっては不快極まりないからです。
「会話レスな夫婦」というノンフィクション漫画があります。いつの間にか夫婦の会話が減り、お互いの気持ちが分からなくなった夫婦の話なのですが、23話では「出産当日、病院に姿を見せなかった夫。その理由が夫の口から語られる」ことになります。
旦那さんの立ち合いなしで出産することになった奥さんは、旦那さんが「自分と娘を大事にする気持ちがないのでは?」と疑います。しかし本当は・・・・旦那さんは出産に立ち会うために病院に到着していたし、出産に立ち会えなかったのも「病院側のミス」だったのです。
旦那さんが病院側のミスを奥さんに伝えなかったのは、「お世話になる病院に不信感をもたせるのはマズイかもしれない」と判断したという事情があったのです。
しかしほとんどの人が「自分の頭のなかにある情報をちょっと見直してみる」という簡単そうなことがなかなかできません。なぜならば・・・・
「他人を変えるのではなく、自分の頭の中にある情報を見直してみる」というシンプルな戦略を実践するだけで、ほとんどの人間関係の悩みは解消できるはずです。裏を返せば人間関係の悩みを解消できない最大の原因は、「他人を変えるのではなく自分が変わる」ということを実践できない点にあるのです。
なぜ「他人を変えるのではなく、自分の頭の中にある情報を見直してみる」という簡単そうなことが実践できないのでしょうか?ズバリその理由は「絶対に自分が正しい」という固い信念があるからです。「絶対に自分が正しい」と信じる気持ちが強ければ強いほど、自分が変わることが『あり得ないこと』になってしまうのです。例えば・・・・
「現世で苦しければ苦しいほど、来世で幸せになれる」ことを信じているヒンドゥー教徒は、最下層から抜け出すことを拒否します。
「異教徒は人間ではない。むしろ殺すべき。」という神の教えを信じたキリスト教徒は、中世の時代、十字軍遠征においてイスラム教徒を虐殺しました。
「反ロシアのウクライナなど存在しない」と信じているロシアのプーチン大統領は、核戦争の可能性について言及するだけでなく、欧州最大級の原子力発電所を武力で制圧しました。
「絶対に自分が正しい」という信念を捨てることが夫婦仲を改善させる第一歩になります。しかしわかっていてもなかなか「絶対に自分が正しい」という信念を捨てられないから人間関係は難しいのです。
どうすれば・・・・・無意識の奥底にこびりついた「絶対に自分が正しい」という信念を捨てられるのでしょうか?
人間関係の本質を理解すれば「絶対に自分が正しい」という気持ちを変えることができます。人間関係の本質は、言葉で説明するよりも図で説明したほうがわかりやすいでしょうから、まずは以下の図を見てみてください。
上図が人間関係の本質だと伝えてもよくわからないでしょう。この図を読み解く秘訣は、「関係」と「存在」を理解することにあります。ちょっとだけ哲学的な話になりますが、頑張ってついてきてください。
西洋的な見方では「存在」があるから「関係」があると考えるのが一般的です。ですから「夫婦」だから「夫婦関係がある」というように理解するのですが、その一方で東洋では西洋的な見方とは真逆の発想をするのです。
実は東洋的な発想においては、「関係」があるから「存在」がある。と考えるのです。つまり「夫婦」だから「助け合わなければいけない」と理解するのではなく、「助け合う関係」があるから「夫婦」が存在するのだ・・・・と考えるのです。
関係があるから存在があるのだ・・・という考え方は、夫婦関係だけでなくあらゆる人間関係においても成り立ちます。
例えば友人関係。「友達だから仲良くしなければいけない」という考え方には違和感があるのではないでしょうか?「仲良しだから友人関係がある」のでしょう?
そのことを昔の日本人はちゃんと理解していました。年に1回は年賀状のやり取りをするのが当たり前でしたし、お中元やお歳暮を贈ったりして、人間と人間の「関係」を維持することに熱心だったのです。
もしあなたが『人間関係の本質』つまり「関係があるから存在がある」という東洋の論理を理解すれば、あなたと配偶者との関係性を変えることが「夫婦」という存在を変える唯一の手段であることが納得できるのではないでしょうか。(続く)