不自然淘汰: ゲノム編集がもたらす未来 ~ 技術による社会変革は実現されるのか?

「なりたい自分」になるためには、コーチングの世界では自分という存在が【情報的な存在】であることに気づくことが推奨されます。自分が情報的な存在であることは自己紹介をしてみれば思い半ばに過ぎるでしょう。

自分について自己紹介をしているはずなのに、自分について説明しようとすればするほど「自分ではない何か」について説明していることに気づくはずです。そう。あなたという存在は、あなた以外の存在のおかけで成り立っているのです。

わかりずらければこのようにイメージしてみるとよいでしょう。線というのは概念的な存在ですが、あなたという存在は「自分ではない何か」(線)と「自分ではない何か」(線)との交わりにおいて存在する【点】のような【情報的な存在】なのです。

だから「なりたい自分」になるためにコーチングの世界では、自分が自分だと思っている自分を上書きする技術(セルフイメージの書き換え)があるわけですが、近年、まったく別の文脈から人間が【情報的な存在】であることが説得的に語られるようになっています。

不自然淘汰

ネットフリックの『不自然淘汰: ゲノム編集がもたらす未来』という作品では、生命自体が情報的な存在であることが誰でも理解できるように説明されています。(予告動画は探しても見つかりませんでした。残念。)

人間に関わらずあらゆる生命が「遺伝子情報」によって成り立っており、いまや人類は立派な研究施設がなくても遺伝子情報を編集できるまでになっているのです。

遺伝子情報を編集することの可能性は大きいです。遺伝子情報を操作することによって、難病の治療や、マラリアを媒介する蚊を絶滅させることでマラリアという病気まで抑制できる可能がひらけるそうです。

しかしその一方で遺伝子情報を編集することには問題も山積みです。遺伝子編集の技術は誰のものか?(対象範囲)、遺伝子編集はどこまでやっていいのか?(倫理的な問題)などが議論されているのですが、「これが正しい」というような答えが出てこないのです。

ゲノム編集の動機

ゲノム編集の実態については、ドラマを観ていただくとして、ここではドラマではあまり強調されていない視点を提供したいと思います。それは「そもそもゲノム編集を推進する動機はなのか?」という点です。

ゲノム編集を推進する人たちも1枚岩ではありません。「儲かるから」、「研究者として結果を出したいから」、「病気を治したい」というような動機でゲノム編集技術と向き合っている人もいるのですが、「ゲノム編集の民主化」なる活動のはじまりとなった動機は「技術による社会変革」なのです。

技術による社会変革とはなんでしょうか?

制度による社会変革

社会変革というものは「制度」により達成するものだと考えている人が多いでしょう。例えば貧困をなくすという場合、『生活保護』などの制度の推進が頭に浮かぶはずです。しかし残念ながら「制度」による社会変革は挫折しがちです。

日本でほ本来生活保護の受給資格のある人の半数以上が生活保護を受給していないのに、生活保護受給者のうちわずかに存在する不正受給者に「けしからん」と噴きあがる人たちがたくさんいる事実だけでも思い半ばに過ぎるでしょう。

そう。制度による社会変革は、「誰が仲間なのか?」という問題と切り離せないのです。だから日本のような衰退途上国では、時間が経過すればするほど再配分するお金が少なくなり、「あいつは仲間じゃない」と判断された人たちが切り捨てられていくのです。

「それでいいのか?」と問題提起するのが、新反動主義者といわれる人たちです。新反動主義者たちは「制度による社会変革」ではなく、「技術による社会変革」を唱えています。

技術による社会変革

1億円以上の所得があっても「自分は貧乏だ」と感じる人たちがいます。「これっぽっちの収入ではプライベートジェットの燃料代も満足に払えない」と頭を抱えている人もいるのです。

その一方で年収300万円という水準は日本では高年収であるとはみなされませんが「自分たちは貧乏だ。。。」などと嘆くわけでもなく毎日楽しく生きている人たちもいます。

そう。先進国における貧困は、主観的ビジョンがベースになっているのです。自分が所属する集団のなかでのモノサシで相対的に自分の貧困度(お金持ち度)を判断しているに過ぎないのです。

自分がどれだけ貧乏か?(お金持ちか?)という問題が、主観的なビジョンの問題なのであれば、それらの問題は拡張現実により制御することが可能です。

政治的な再配分機能を働かせて物質的な差を埋めることが不可能であっても、技術により拡張現実を制御することで【情報的な存在】を変化させることは可能なのです。これが制度ならぬ情報による社会変革なのです。

ポケモンGO

制度(例えば生活保護)は日本国民全員を巻き込みます。しかし技術の問題はいくらでも個人化できます。

例えばポケモンGO。ポケモンGOをプレイすることが喜びになっている人もいます。「ポケモンGOは所詮ゲームの世界だからくだらない」という人もいるかもしれませんが、そういう人はポケモンGOをやらなければいいだけの話です。

とするなら技術の社会変革が可能になる条件は、技術が生み出すそれぞれの拡張現実が、「ポケモンGOをやる人」と「ポケモンGOをやらない人」というように分離され、互いに交わらないように制御できるか?という点がクリアされるか否かになるはずですが、果たして新反動主義者の理想が実現される日はくるのでしょうか?