母なる証明 ~ 踊らないとやってられなくなる体験

母なる証明

『母なる証明』という韓国映画があります。半地下家族で話題となったポン・ジュノ監督の作品です。

予告動画)母なる証明

『母なる証明』という韓国映画があります。半地下家族で話題となったポン・ジュノ監督の作品です。

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冤罪ものではない

予告編動画を観た人であれば「冤罪ものか・・・」と思うでしょう。クリント・イーストウッド監督作品の『リチャード・ジュエル』が日本で公開されるときも、「日本の司法は中世時代のものである」という問題とからめて映画を語る人が多かったです。

しかし「母なる証明」というタイトルにもあるように、この映画は冤罪を描いているようでいて、冤罪とは全く別のものを描いている点に着目しなければいけません。「冤罪で逮捕された息子を守るために真犯人を捕まえるために奔走する」という行動こそが『母なる証明』だと観客は思い込んでこの映画を鑑賞するわけですが、完全にその期待は裏切られるのです。

母であるがゆえの盲点

ネタバレになりますが、母は母であるがゆえに息子を過小評価しているのです。母は母であるがゆえに自分の息子を甘やかし、大きくなった息子を小学生のように扱います。しかしそのような行動の積み重ねが最後には自分の首を絞めることになるのです。

日本には他人を非難する時に「親の顔が見てみたい」というセリフがありますが、この映画で登場する母親はまさに「こういう息子に育ったのは自分の影響が大きい」ということを悟り、最後には踊るのです。踊るのは素面(しらふ)じゃいられないからです。嫌なことがあった時に酒でも飲んで忘れちゃおうと思うのと一緒です。

さて、、、ある立場に立つことでその立場にとって都合のいい情報だけをインプットしてしまうということは人間である以上は避けられないことです。しかしそのことで見えていなければいないことが見えなくなっているということがないでしょうか?