「働かざる者食うべからず」というのは無宗教の日本人でも受け入れている人が多い思想ですが、実は・・・・「働かざる者食うべからず」という思想の源流は、キリスト教のカトリックにあるのです。
そして欧州において世界ではじめて「資本主義」が誕生したのもキリスト教と密接な関係があるのですが、キリスト教徒がほとんどいない日本で「資本主義」が根付いたのは、なぜなのでしょうか?
「労働こそ一番大切な人間の行動で、人間は労働によって評価されるべき」というのは、日本では当たり前のこととして受け入れられています。あなたもお金持ちで仕事もせずにプラプラしている人よりも、お金持ちではなくても立派な仕事をしている人を尊敬するでしょう。
しかし・・・・・「人間は労働によって評価されるべき」という考え方は、いつの時代、どこの国でも通用する考え方ではないのです。
事実、偉大なる哲学者プラトンの理想とした共和国では、人間の最高の行動は「哲学」。次に「戦争」。労働はその次でした。日本でも平安時代においてもっとも尊重されるべき人間の行動は「美の追求」。戦国時代においては「戦争をすること」でした。
いずれにせよ勤勉に働くことは人間の自然な状態ではありません。人間はほうっておいても勤勉に働くものではないのです。では何が人間を勤勉な労働者に変えたのでしょうか?
勤勉に働くことが「正しいこと」になった理由をさかのぼれば欧州では「キリスト教の教え」に行きつくわけですが、日本では「鈴木正三の教え」に行きつくのでざっくり解説します。
江戸時代の話です。一人の農民が禅僧・鈴木正三のところにやってきて「仏行(仏教の修行)に励めといわれても、農民にはそんな暇はまったくありません。どうしたらよいでしょうか?」と質問しました。
「仕事をする暇があるなら修行しろ!」と教えるのが仏教です。仏教では、仏になる原因をつくるために修行であり、修行にはとてつもない時間がかかるので「1日でも早く修行に励め」と教えます。
しかし農民は困っています。なぜならば労働していては悟りにたどり着けないし、かといって、修行していては生活できないジレンマを抱えているからです。鈴木正三はどのように答えたのでしょうか?
鈴木正三の答えはシンプルです。ズバリ「農業即仏行(仏教の修行)なり」。つまり「仕事をすることが仏教の修行になる」というのです。
農民の次には職人がやってきて鈴木正三に「家業に精を出すばかりで他の時間的余裕がありません。日夜一所懸命に働いても生活費を稼ぐのに精いっぱいで他のことは何もできません。とてもじゃないが、仏教の修行なんかできません。わたしはどうすれば成仏(じょうぶつ:悟ること)できるでしょうか?」と質問しました。
鈴木正三の答えはシンプルです。ズバリ「何の事業も皆仏行なり」。つまり「何の事業であっても人の役に立っていることが徳をつむことになる」というのです。
もちろん「働かざる者食うべからず」という精神だけで資本主義が生まれるわけではありません。資本主義が生まれるためには、資本と技術はもちろんのこと『資本主義の精神』が必要です。
実は「働かざる者食うべからず」という考え方も『資本主義の精神』の一部なのですが、今回は覚醒ロードマップにおける宗教の重要性に触れることが最大の目的なので『資本主義の精神』についての詳しい説明は省略します。
今回伝えたかったことは、宗教というものは現代日本人にもすでに大きな影響を与えているという事実であって、覚醒するためには「宗教」から逃れることは日本の成り立ちからして原理的に不可能だということです。
学校の教科書では教えてくれませんが、明治維新をつくった人たちは「欧米が軍事的にも経済的にも強いのはキリスト教が重要な役割を果たしたから」ということに気づいていました。
とはいえ日本人に「明日からキリスト教徒!」になれといっても無理なことは明らかなので、「天皇をキリスト教におけるイエスのように神とあがめる」ことにしたり、勤労の大切さを伝えるために二宮金次郎像を全国の学校に置くことにしたのです。
ピントこないならG7の顔ぶれを思い出して下さい。日本、米国、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダの7か国のうち、日本以外はキリスト教圏の国です。
日本が曲がりなりにも近代化を達成することができた理由を知らないまま日本は語れないし、日本で暮らすわたしたちの「覚醒」についても語ることはできないのです。(続く)