卑怯者!

あなたは他人から「卑怯者!!」といわれた経験がありますか?わたしはあります。わたしが大学の試験を受けているときのことです。

卑怯者のわたし

試験問題に集中していると、試験会場を巡回していた教授から「卑怯者!」と宣告されました。実はこの試験、A4用紙1枚のカンニングペーパーの持ち込みが許可されていたのですが、わたしはA3用紙(A4サイズの2倍)を持ち込んでいたのです。

わたしがもちこんだA3用紙のカンニングペーパーの裏面が白紙だったので「まぁ、A3用紙の表面と、A4用紙の表面・裏面にメモできる情報量は同じだから見逃してあげる。」と教授からの許しが得られたのでなんとかなりましたが、冷や汗ものの体験でした。

そろそろ本題に入ります。今回のテーマは「他人からの言葉であなたが受ける影響」についてです。

言葉による影響

子どものときに「卑怯者!」といわれた人間は、「ああそうか。これが卑怯ということなのか。」と理解することができます。

しかし「卑怯者!」といわれなかった人間はおそらく何が卑怯なことが理解することができないままに大人になってしまう可能性があるのです。ここで問題になるのは「卑怯」が意味する中身です。何をしたら卑怯になるのでしょうか?

ルールを守ったら?仲間を裏切ったら???、一体、何をしたら卑怯になるのですか?????

今日この話をしたのは、他人からの言葉によってあなたの人生のパフォーマンスが制限されている可能性を知ってほしかったからです。具体例を挙げましょうか。あなたはじぶんのことを「あまり頭はよくない」と思っていませんか?

ではどういう人が頭がいいのでしょうか??あなたはもしかして東大生なら頭がいいと思っていませんか??

頭の良さは相対的

それは勘違いです。実は東大生のなかにも「頭が悪いわけではないが、わたしはあまり頭がよくない」と思っている人は多いのです。意外でしたか?

東大生の多くが「あまり頭がよくない」と認識してしまうのは、東大に入学してさらなる天才を目の当たりにしてしまうからです。じぶんが必死にノートをとっているなかで、ノートもとらずにテストで「優」をとる天才の存在を目の当たりにしてしまい「あぁ、わたしは単なる秀才でしかないんだ。」と悟るのです。

つまり頭がいいとか頭が悪いというのはあくまで相対的なモノサシであり、絶対的なモノサシではないということです。それにもかかわらず本当に多くの人が高校大学のときの偏差値をもとに、じぶんの知力のレベルを決めてしまっているのです。

最後に学校を卒業してから何年が経ちました??そんなに大昔のときの実力なんて当てになりますか?もしあなたが偏差値●●の「バカ」だと自己評価しているとして、、、そんなことに意味なんてありますか?

現実の世界

現実をみてください。東大生でも貧乏している人もいれば、中卒で豊かな暮らしをしている人もいるのです。重要な質問をします。

あなたは、自分で自分を縛り付けていませんか??

きっかけは他人のコトバだったと思います。「君は偏差値●●だから、ここの学校に行こう!」とアドバイスされたこともあるかもしれません。たしかに進学までの時間が制限されている世界においては、偏差値で学力を図るのは合理的かもしれません。

でもあなたは大人であり、1年で達成できないことであっても、2年の時間をかけることもできるのです。あなたがやろうとさえすれば。。。大抵のことはできるのです。さてあなたはこれからの将来、どんな言葉を信じていきますか?

「わたしには絶対にできるわけがない」それとも「わたしなら出来て当然」??どちらを選ぶのもあなたの自由です。