ミッドウェイ ~ 奇跡の三乗

ミッドウェイ

太平洋戦争(大東亜戦争)を描いた作品(例えば先日紹介した『野火』)はたくさんありますが、現在の日本を分析する上で重要な事実というものはほとんど明らかにされていません。例えば今回紹介する映画「ミッドウェイ」でも真珠湾攻撃が描かれていますが、「そもそもなぜ日本軍は宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃したのか?」ということは明らかにされていません。

実は「なぜ日本軍は宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃したのか?」という点は、この記事を執筆しているコロナ禍における日本の惨状を理解する上でとても重要な手掛かりになりますので、わかりやすく説明したいと思います。

予告動画)ミッドウェイ

一つ目の奇跡

真珠湾攻撃の成功は、3つの奇跡が重なった末の結果であることはあまり知られていません。まず第一の奇跡は「真珠湾を攻撃するまで発見されなかったこと」です。

真珠湾を奇襲する第一航空艦隊は、千鳥・択捉(エトロフ)島のヒトカップ湾から出港し、目的地であるハワイ・オアフ島のダイアモンド岬沖まで40日もの長期に渡って航海をする必要がありました。

その間、米国のみならず中立国の船舶に発見されたらさぁ大変。奇襲攻撃は成功しなかったでしょう。

二つ目の奇跡

2つ目の奇跡は第一航空艦隊が「時間通りに到着したこと」です。日本の予定では1941年12月8日午後1時(ワシントン時間)に攻撃をする予定でした。それと同時に 野村吉三郎駐米大使がハル国務長官に宣戦布告を通告するという手はずになっていたのです。

現代社会でも田舎にいけば電車が強風のため30分遅れるなんてことは珍しいことではないのに、1941年の時点において40日もの長期にわたって航海してきた艦隊が『午後1時に攻撃を開始する』ことは奇跡のような出来事だったのです。

三つ目の奇跡

さきほど「 野村吉三郎駐米大使がハル国務長官に宣戦布告を通告するという手はずになっていた」と書きました。しかし実際には日本がアメリカに宣戦布告したのは真珠湾への攻撃を開始してから1時間20分後のことでした。なぜ宣戦布告が遅れたのでしょうか?

宣戦布告が遅れた背景には、日本の外交官の奇跡的な大失策があったことが明らかになっています。実は開戦前夜、日本大使館では転勤する寺崎英成書記官のために送別パーティーが開かれていたのですが、その翌日に酒に酔っぱらった担当者が入電文書と暗号解読のタイプ打ちを怠ったことによって予定通りに作業が終わらなかったのです。

危機感覚ゼロ

映画「野火」を紹介した時にも、福留繁中将(連合艦隊参謀長)のありえないミスについて紹介しましたが、大事な局面における「ありえないミス」というものは外交面でも発揮されていたのです。

そして残念なことに危機感覚ゼロの体質は、現代の官僚組織にもちゃんと受け継がれています。2021年3月24日、厚生労働省老健局の職員23人が東京・銀座の居酒屋で深夜まで送別会をしていたことが明らかになりました。

政府は「飲酒を伴う懇親会等」や「大人数や長時間におよぶ飲食」は感染リスクが高まる場面として注意を呼びかけており、厚生労働省も業務後の大人数での会食をしないよう指示していました。さらに政府は飲食店を選ぶ際のポイントとして「アクリル板の設置」や「食事中以外のマスク着用の推奨」を挙げ、できるだけ4人以下で飲食するよう国民に求めてました。

罪深き厚生労働省の職員たちは、それらをすべて無視したのです。厚生労働省の職員は「よくないことはわかっていたが、異動する職員を送り出したかった」と弁明しましたが、日本国民には「厚生労働省の職員が飲んでいるんだから大丈夫」とか「マジメにやっているのが馬鹿らしい」というような意識が定着する結果となりました。

なぜ厚生労働省の職員は「よくないことはわかっていた」が送別会をやったのでしょうか?

その理由は「掟(共同体内部のルール)は法(共同体外のルール)を超えるから」です。「ワン・オブ・アス ~ 共同体のルールとは?」という記事のなかで詳しく解説していますので是非とも参考にしてください。