空母いぶき ~ 自衛は許されないのか?

空母いぶき

敗戦国である日本には「戦争」について語ること自体がタブーという風潮がありました。例えば映画『秋刀魚の味』は、「戦争の話は話題にしない」ということが暗黙のルールであった時代が確かにあったことを刻印しています。

しかし戦争について話題にしないことで日本人はいろんなことを誤解するようになりました。例えば原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください。 過ちは繰り返しませぬから」と刻印されています。

『過ちは繰り返さない』と唱えればなんだか平和になった気持ちになってしまうのが現代日本人。しかし本当にそうなのでしょうか?今回はそのようなことを考えるきっかけになりそうな映画を紹介します。

予告動画)空母いぶき

日本は戦争をしない

映画「空母いぶき」には、「我が国は絶対に戦争はしません」というセリフが登場します。しかし日本が戦争をしたくないからといって、戦争を避けられるわけではないのです。

なぜならば日本が戦争をしたくなくても、逆に敵から攻撃される可能性があるからです。もしくは日本が戦争をするつもりがなくても、戦争をするように挑発されたり仕向けられることだってあります。

ではなぜ『過ちは繰り返さない』と唱えればなんだか平和になった気分になれるのでしょうか?それは歴史的に日本が戦争に巻き込まれたことがほとんどないからです。だから「こちらから戦争を仕掛けなければ戦争は起きない」という前提を無意識に信じてしまっているのです。

国連の正体

また国連に対する誤解もあるでしょう。日本人にはなんとなく、国連=「世界平和を維持するための機関」という認識をもっている人が多いようです。しかしこれはとんでもない誤解です。

日本人は国連が「対日軍事同盟」であることも知らないのです。その証拠に、国連憲章の正文は「中国語、フランス語、ロシア語、英語、スペイン語」ですが、中国語では国連は「联合国」と書きます。

「联合国」とは「連合国」という意味です。連合国というと第二次世界大戦の時の一方の軍事同盟を指します。第二次世界大戦は連合国対枢軸国の戦いであり、日本はドイツ、イタリアと共に枢軸国側でした。

そして国連憲章の冒頭には「われら連合国の人民は」とあり、つまり国連憲章は「われら連合国の人民」のための憲章であって、連合国に入っていない人民のための憲章でもなければ、ましてや枢軸国の人民の憲章でもないのです。

だからこそ国連憲章には、日本やドイツを敵国と規定した『敵国条項』が存在し、現在も残されているのですが、そのことを知っている日本人はほとんどいないのです。不思議なことに。

シビリアン・コントロール?

日本人には戦争について勉強する機会がほとんどありません。だから太平洋戦争⇒原爆投下⇒日本の敗戦⇒日本が全部悪い⇒とにかく謝るしかない・・・という思考だけが染みついています。

さらに悪いことに「謝れば過去は水に流れる」というような発想が日本特有のものであることも理解していないので、謝罪外交をすればするほど泥沼にハマることにも気づいていないのです。

そもそも「自衛隊のシビリアン・コントロール」(文民統制)という言葉の矛盾にも気づきません。「シビリアン・コントロール」は冷静に考えてみると明らかな憲法違反です。なぜか?

なぜならば自衛隊が軍備であればこそ、シビリアン・コントロールということが問題になるからです。そもそも軍備でなければシビリアン・コントロールなど話題にする必要はないはずです。

日本国憲法にはシビリアン・コントロールを必要とするような防衛力をもってはいけない、という規定があります。軍備とは国際紛争を解決するために戦争を行いえるような戦力のことです。

それにも関わらず、国会議員も自衛隊も国民も堂々とシビリアン・コントロールのことを話題にしているのです。これほど不思議なことはありません。