リンカーン ~ 政治家の功罪

アメリカで尊敬される大統領を知りたければお札をチェックすることです。尊敬される大統領ほど数字の小さな紙幣に肖像画が印字されています。

1ドル札は建国の父『ジョージ・ワシントン』、2ドル札はアメリカ独立宣言起草者のひとり『トーマス・ジェファーソン』、そして今回紹介する映画は5ドル札に印字されている「奴隷解放の父」であり「南北統一」を果たした大統領にまつわる作品です。

予告動画)リンカーン

デモクラシーの化身

映画「リンカーン」は南北戦争終結前の4カ月に焦点を当てています。作品で描かれているとおり、アメリカ合衆国憲法修正第13条を通過させるために、あの手この手の裏工作を仕掛けたリンカーンは現代日本人からすれば「汚い」存在に映るでしょう。

日本人は政治家に「クリーンさ」を要求します。しかし前例のないことを達成するために必要とあれば自ら法を超えて手を汚すのが『政治家』の仕事です。そういった意味では日本には肩書としての「政治家」はいても『政治家』はいないのです。

マジメな話、必要とあれば自ら法をやぶるのが『政治家』の役割(マックスウェーバー)なのに、日本ではもっぱら「法を守る」のがよき政治家であるというような理解が一般的になっています。しかし一般市民が法の中で安定した生活ができるのも、その枠組みを外から支える『政治家』がいるからであることは見過ごせない事実でもあります。

政治家なき国はどうなる?

もし『政治家』がいなければどうなるか・・・・コロナ禍で日本人は痛いほど痛感したはずです。危機に対応するために新しい法律をつくるのが仕事であるはずの政治家が、法律をつくりませんでした。

政治家は自らがやるべきこと(法律をつくる)をやらず、官僚も自らがやるべきこと(規範を遵守する)をやらず、もっぱら一般自民への自粛要請という名の「強制」ばかりやっていました。その結果、菅総理大臣は「無能」・小池都知事は「小言ばかりのおかあちゃん」などと揶揄される始末です。

そしてほとんどの日本人は「日本では外国と同じことができないのはしょうがない」というような政治家や官僚の主張を疑問もなく受け入れて、「しょうがない」という発言を自分に言い聞かせながら思考停止に陥ったのでした。

暴君は死んだ

ここまでリンカーンを持ち上げてきたので、逆に映画では描かれていない負の側面についても紹介しておきたいと思います。リンカーンは前例のないことを達成しましたが、その一つが「無条件降伏」です。

それまで戦争において「無条件降伏」というのはありえませんでした。敗北する可能性がほとんど100%という状況でも、条件付きの降伏をすることが文明国における戦争の慣行(例:普仏戦争)だったのです。しかし条件付きの降伏を認めずに、あくまでも無条件降伏を要求したのがリンカーンでした。

ですからアメリカ南部においてリンカーンの評判は最悪で、実際、リンカーンが共和制を廃止し絶対君主制をもたらす可能性を危惧していたジョン・ブースは、リンカーンを暗殺したとき「暴君は死んだ」と叫んだそうです。

戦国センスの日本人

欧米戦史に前例のない無条件降伏を貫徹した背景には「インディアンとの戦い」があり、そして無条件降伏という前例をつくったアメリカは太平洋戦争で敗戦国となった日本をインディアン並みに扱いました。

しかし日本人はインディアン並みに扱われることに違和感をもちませんでした。なぜならば「負けた以上、言い訳するだけ野暮。どんな罪でも甘んじで受け入れる他ない。」というような戦国時代からの日本人的なセンスは、アメリカ人の「こじつけであろうとデタラメであろうと裁判をとおせば合法」(≒実質的な無条件降伏、例:東京裁判)という考え方とマッチしたからです。

だから日本人は、戦後70年以上が経過してなおいまだに戦国的なセンスを引きずったままの「アメリカの忠犬ハチ公」、「ジャパンドットコムの社員」(西部邁)から抜け出せないのです。