結論はもう決まっている会議

2021年2月3日のJOC会議にて、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、『女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。』、『女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る』などと発言したことが、『女性蔑視』であるとの批判を浴びました。

しかし本当の問題は「女性蔑視」なのではなく、もっと奥深いところにあるのです。

本当の問題

森喜朗は謝罪会見をひらきました。逆ギレ会見だと批判されたとはいえ、発言を撤回しました。「発言を撤回しても、発言がなかったことにはならない」という意見はもちろんあってしかるべきだと思いますが、ではどうすれば森喜朗の発言をめぐる問題は解決したことになるのでしょうか?

森喜朗が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任したとして、問題はすべて解決するのでしょうか?

森喜朗の問題発言は、2021年2月3日に開かれた日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会でのものでしたが、発言に対して笑っている人もいたのですから、森喜朗だけが諸悪の根源でありそれを切り離せば問題は解決するというわけにはいかないでしょう。

森喜朗の公認候補として、橋本聖子(東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当女性活躍担当内閣府特命担当大臣)や、丸川珠代の名前が挙がっていますが、いわゆる『名誉男性』と指摘されることのある女性たちが活躍することが問題の解決になるのでしょうか?

「名誉男性」とは、建前(女性が活躍する社会が望ましい)と本音(男尊女卑)を使い分けることができる女性のことです。ですからたくさんの女性がオリンピック組織員のメンバーになった場合でも、その女性たちが「名誉男性」であれば現状と何も変わらないでしょう。

本当の問題はどこにあるのでしょうか?

結論は決まってる

日本という国は、政治から経済まで「根回し」(調整)する能力が非常に重宝されています。例えば菅義偉や二階俊博も調整の達人として有名です。

ですから重要な会議の前に、結論がすでに決まっているなんてことは珍しくありません。調整する役割を与えられた人間が順番に偉い人を回り、意見を賜(たまわ)り、ちょっとずつ意見を調整しながら、最終的に誰も傷つかないような結論を導き出すのです。

つまり何かを決定する会議が開催される時点ですでに「誰がどう考えているのか?」というような意見は共有されており、大体の落としどころは決まっているのです。決断が下される会議というものはあくまでもセレモニーなのです。

例えば国会。国会議員の質問は官僚が事前に把握しています。むしろ野党からの質問を把握して、その回答を準備するまで担当の官僚は帰宅することはできません。徹夜になることも珍しくないそうです。

他にも審議会。審議会のメンバーは官僚が決めます。審議会での結論も官僚が決めます。結論に至るまでのシナリオも官僚が決めます。意見がありそうな人には事前に調整し、当日の議論がヨコにそれないように元官僚OBが音頭をとることもあるそうです。

そう。会議をする時点で、、、、北斗の拳のケンシロウの有名なセリフ「お前はもう死んでいる」、、、さながらに「結論はもう決まっている」のです。

調和・本音・建て前

調和という言葉に対して、ネガティブなイメージをもつ日本人はほとんどいないでしょうし、むしろ美徳とすら考えている人も多いはずです。

しかし日本的な「調和」を保つためには、「本音」と「建前」を上手に使い分ける必要があるのです。実際問題、会議が終わった後になって「わたしは反対」とこっそり言い出す人も珍しくありません。

そう。日本的な会議というのは、「本音を語り合う場」ではなく、「建前をつくりだす最終調整の場」なのです。

男性であれば社会人になり、組織の中で活動するうちに「本音」と「建前」の使い分けを徹底的に叩き込まれます。例えば上司から「もう帰れ」といわれても、上司が帰宅するまで「絶対に帰らずに眠気にも耐えて、家族団らんも犠牲にして、けなげに働く」ようなマゾヒスト的な態度が賞賛されます。

もし上司の建前を本音であると勘違いして行動したらどうなるでしょうか?答えは簡単です。陰口をいわれたり、イジメられたり、評価を下げられたりして、徹底的に損をするハメになります。

しかし女性は違います。「今日は約束があるので17時の定時には帰ります。」と堂々と主張する権利をもっています。「日本的ムラ社会では意思決定に関われない」という犠牲のかわりに、女性は「本音」と「建前」を使い分けるという状況、いわば自分で自分に嘘をつくという状況に耐えることから免除されてきた・・・という面もあったのです。

時間の無駄

以上の議論を踏まえると、森喜朗が「会議が長い」と考える気持ちがわかるのではないでしょうか?

森喜朗としては、会議の場は本音を語る場ではありません。誰が発言しようとしまいようと、もう重要な議題についての議論は、すでにとっくに終わっているのです。

しかしそのようなことをいってしまえば「そもそも会議する意味なんてないじゃないか?」とツッコまれてしまいます。だからそんなことを口走るわけにもいかない。

だから「女性は競争意識が強い」などという理由をつけて「女性は発言したがる」なんて遠回しに皮肉っているにすぎないのです。

森喜朗の「会議が長い」という発言は本質ではありません。森喜朗の本音は「あんたらが何を発言しようと、意味がないからやめてくれ。時間の無駄だから。」なのです。

わたしが外資系企業に勤めていた時、「発言しない人間が会議にいることはノーバリュー(無価値)」と教育されました。しかし日本社会ではそれでいいのです。むしろそうでなければならないのです。

森喜朗を批判するのであれば、あなたが男であろうが女であろうが、本音ベースのコミュニケーションから逃れることはできません。相手にノーといわれても、こちらも堂々とノーを突き返せるようでなければいけません。

お互いがノーと言いあっても、感情的にならずに議論できるのが欧米では「大人」としてのパスポートでもあるわけです。しかし日本で相手にノーをいうと、相手が「人格を否定された」と勘違いして感情的になってしまうことも珍しくありません。

あなたは本音ベースでのコミュニケーションを実践できているでしょうか?