人間らしく生きることが、沈みゆく日本で生き延びる秘訣になるでしょう・・・・といわれてもピンとこない人がほとんどだと思うで詳しく説明します。
アダム・スミスは1776年の『国富論』で「神の見えざる手」という有名な言葉を残しました。需要と供給にってモノの価格が決まるという有名なメカニズムですが、「神の見えざる手」が働く前提についてはあまり知られていません。
アダム・スミスは経済学者として知られていますが、もともとは倫理学者でした。倫理学者だったアダム・スミスは、「神の見えざる手」が機能するためには同感能力(シンパシー)と仲間意識(フェロー・フィーリング)の2つが必要だと考えていたのです。
アダム・スミスの言葉を借りれば、「人の苦しみを自分の苦しみ、人の悲しみを自分の悲しみとして受け止める能力」がある場合のみ、市場は「神の見えざる手」を発揮するというのです。
そしてほぼ同時期に活躍したフランスの政治哲学者ジャン=ジャック・ルソー(以下、ルソー)は、アダム・スミスと同じようなことを政治領域で主張しています。
学校の教科書でルソーは「直接民主制を主張した人」と紹介されていますが、なぜルソーが直接民主制を主張したのか?ということはあまり知られていません。
ルソーは民主主義が機能するためには、ルソーの言葉を借りると『ピティエ』ひらたくえいば「ある政治的な決定により自分以外の他人の人はどうなるだろうか?」ということが気にかかり、なおかつ想像できることが民主主義が機能する条件だと考えていました。
つまりピティエが働く範囲は、当時のルソーの感覚では2万人くらいの規模じゃないか?ということで、直接民主制のようなものを擁護したのです。
そう。現在世界を回している2大システムである資本主義も民主主義も、同感能力・仲間意識・ピティエといった人間の感情が前提にないと回らない・・・・
という重要なことをアダム・スミスもルソーも主張していたわけですが、現代社会ではどうなっているでしょうか?
アダム・スミスやルソーのおよそ100年後に資本主義を研究したカール・マルクス(以下、マルクス)という男が「資本主義のメカニズムによって、人間の感情的な働きは必ず破壊される」と予想しました。
例えば嫌な仕事をやっていても「イヤだ!もうやめる!」という人はそんなに多くありません。ほとんどの人はイヤな仕事でも感情を押し殺してロボットのように毎日働いているのです。
そして現代を生きるわたしたちが目撃しているのはまさに18世紀末から19世紀末の時点ですでに予言されていた人間の感情的な働きが破壊された世界であり、わたしたちが遭遇していることは、過去の誰もが想像していなかった新しいことでは全く「ない」のです。
現代の労働者の最大の動機は「仕事を辞めたら飯が食えなくなる」というような「将来の不安」というような漠然とした不安なのであって、「仕事が楽しいから」というようなポジティブなものではないことは同意してもらえるでしょう。
そして日本は平成の30年間そして現在に至るまで経済が成長する気配がまったくありませんが、「仕事を辞めたら飯が食えなくなる」というような動機に駆り立てられている以上、生産性が向上するわけがないのです。
AI技術の進展によりロボットにできる仕事の領域がますます広がっていますが、AI技術者が目指したのは「人間らしいロボット」です。ひらたくいえばAI技術者は「心が折れるロボット」の開発を目指してきたわけです。
しかし皮肉なことに日本人は「心が折れない」ことを目標にしたり「モチベーション開発」に熱心です。心が折れる仕事や、無理やりモチベーションをひねり出さないと続けられないような仕事を「仕事を辞めたら飯が食えなくなる」といって続けた結果、「ひきこもり」・「うつ病」になる人がたくさんいます。
たしかに高度経済成長期における日本では、ロボットのような人材が大手企業に求められてきたのは事実です。会社から「明日から単身赴任で地方(海外)にいってくれ!」と指令を受けて「はい!」と即答できる人間でないと「扱いずらいヤツ」というレッテルを貼られたこともありました。
しかしグローバル化を背景に、発展途上国が車や白物家電を生産できるようになると日本の優位性は小さくなり、上に忖度(そんたく)したり、上から指示されたことに忠実にやることしか能がない人材は逆に「お荷物」になってしまったのです。
ではこれから先、どのようなことを意識すれば「お荷物」にならずに社会で居場所を見つけられるようになるでしょうか?
代替可能な人材はロボットに置き換えられる未来が待っているのであれば、代替不可能な人材を目指すしか生き延びる道はありません。代替不可能な人材とは、他人から命令されるよりも先に、自分のやりたいことを思いっきりできる人材のことです。
日本の歴史を振り返れば、もともとトヨタ自動者は『豊田紡織株式会社』という綿製品の製造・販売をする企業だったのですが、「自動車をつくりたい!」という熱意からトヨタ自動車工業が誕生したのです。
ホンダの創業者の本田宗一郎だってもともとは自転車の修理をしている時に「バイク(二輪)をつくりたい!」という気持ちに駆られ、バイクを製造すると今度は「自動車(四輪)をつくりたい!」という熱意に駆られたからこそ、今のHONDAがあるわけです。
代替不可能な人材になりたければ、内から湧き上がる気持ちの赴くままに行動することが大事です。しかしこんなことをいうと必ず「失敗したらどうするんですか?」という質問がありますので、わたしなりの答えをいっておきたいと思います。
当たり前の話かもしれませんが、世の中の問題には決まった答えはありません。考えても答えが出ないことばかりです。しかしAIは論理的思考しかできないので、答えがなくても理詰めで考えるし、延々と答えを探し続けて演算を繰り返します。そういう単純な思考しかできないAIは賢いとはいえません。
その一方で人間は、途中で計算を打ち切って即座に結論を出すことができます。それを支えているのが「感情」の仕組みです。例えば「こっちのほうが好きだから、これにする」とか「これはイヤだから、やらない」とか「何となく、こっちのほうがいいと思う」と判断して、倫理を超えた結論をスパッと出すことができるのです。
もちろん論理的に見れば人間が出した答えは間違っているかもしれませんし、矛盾した結論かもしれません。しかし人間はそこから学んで、次はより適切な結論を出そうとする学習能力があります。
結論。「失敗したらどうしよう?」と悩んで答えがでるなら考えたほうがいいでしょう。しかし考えてもわからないなら「えいやっ!」で答えを出すのがよいでしょう。「えいやっ!」で前進できるのがAIにはなかなかマネのできない人間の優れた機能なのですから。(続く)