生きる力の感染

もしあなたが「自分が嫌い」、「生きづらい」、「死にたい(ほどつらい)」といった悩みを抱えているなら、その理由は・・・社会の仕組みが「生きる力」を奪っているからであることは、レポート「自分が嫌いの呪縛を解く極意」や「生きづらさの呪縛」などで説明してきました。

しかもそのことは『資本論』で有名なカール・マルクスや、『職業としての政治』などで有名なマックス・ヴェーバーが、100年以上も前にすでに予言していたのですから、驚くほかありません。

なぜ社会の仕組みが、「生きる力」を奪うのでしょうか?

要点だけをお伝えするなら・・・「入れ替え可能な存在として扱われることによって、尊厳を奪われるから」です。このことはちょっと考えてみれば、すぐにわかります。

あなたでなければダメ」(入れ替え不可能な存在)という扱いをされるのと、「あなたでなくてもいい」(入れ替え可能な存在)という扱いをされるのとでは、どちらが「生きる力」が湧くと思いますか?

残念ながら、サラリーマンの多くは「自分が歯車」であることを自覚しているでしょう。またかつては「安定」の代名詞だった公務員ですら非正規雇用が増加しており、入れ替え可能になっています。

ですから昨今の日本人労働者が、仕事にやる気がもてなくなるのも、当然といえば当然です。しかもかつては入れ替え不可能であったはずの「家族」領域においてですら、入れ替え可能の圧力が高まっています。

代表例が「マッチングアプリ」です。就職活動を能力(スペック)でマッチングするならまだしも、結婚相手も能力(スペック)でマッチングする時代に突入したのですから、本当に大変な時代になりました。どのような意味で「大変」なのでしょうか?

念のためお伝えしておくと・・・かつては勤め先や家族の寿命は、ひとりの人間の寿命よりも長いのが当然だったので「会社や家族のために頑張る」のが当たり前だったのに、いまやその当たり前が必ずしも通用しないのですから、「生きる力」を調達する工夫が誰にとっても必要不可欠になっているのです。

さて・・・そのような状況で、わたしたちはどのようにして「生きる力」を取り戻せばよいのでしょうか?

自分なりの気づき

生きる力を取り戻す方法として、誰もが真っ先に思いつくのは「勉強」でしょう。たしかに新たな知識や情報を仕入れることも、それはそれで有意義なことなのですが、それ以上に重要なことは「自分なりの気づき」を得ることです。

なぜ「自分なりの気づき」を得ることが重要なのかといえば、「自分なりに納得できなければ、行動しないから」です。

わたしの経験上、多くの人たちは「どうすればいいのですか?」と他人に質問するのですが、実際にアドバイスをもらっても行動することなく、「どうすればいいのか?」の問いを続けることに熱心です。

行動するために重要なことは「どうすればいいか?」と問いかけて答えをもらうことよりも、あなたの行動の『原動力』となるものを調達することなのです。もちろん原動力になるのは「自分なりの気づき」です。

では「自分なりの気づき」とは、いつ、どのようにして生まれるのでしょうか?

人類学者グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』のなかに「知性とは何か」をめぐる小話があるのですが、とても参考になります。

ある科学者が巨大なコンピューターに「機械は人間と同じように思考できるか?」という問いを入力します。するとコンピューターは、以下のような答えを出力しました。

それでこんな話を思い出した」(THAT REMINDS ME OF A STORY)

ようするにベイトソンが考える知性とは、問いをきっかけにして「ひとつの話を思い出す」ことにあるのであって、問いに対する答えを導き出すことにあるのではない・・・のです。

こんな話を思い出した

わたし自身、毎日いろいろな経験をしたり、日々のニュースをチェックするなかで、「ひとつの話を思い出す」ということがよくあります。まるで「覚えていることすら忘れていた記憶」が、記憶の引き出しから飛び出してくる・・・そんな感覚です。

わたしがやりたいことは、それをあなたに共有することです。もちろん新しい知識を共有することが目的なのではありません。

わたしが抱いた疑問や、「そういえば」と思い出した話をきっかけにして、あなたの「そういえば、こんな話を思い出した」につなげることが目標です。なにせそれこそが、あなたにとっての「自分なりの気づき」そのものだからです。

ようするにわたしがメールマガジンでやりたいことは、「生きる力の感染」なのです。わたしのメルマガを読んで、あなたにもなにかしらの知的高揚を経験してもらえたら・・・と願ってやみません!

さて、わたしがメールマガジンでやりたいことについてお伝えしてきましたが、自分で書いたレポートを自分で読んでいると、アルフレッド・アドラーの言葉を思い出しました。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

わたしは「生きる力を感染」させる活動をたった一人ではじめたわけですが・・・あなたはどんな活動をはじめますか?

多くの人たちにとって仕事を含むあらゆることは、「苦役」であり力を奪われることなのかもしれません。しかし一部の人たちにとっては、仕事をすること自体が「楽しいこと」であり、力を取り戻す活動でもあるのです。

メールマガジンは朝の8時頃にお届けしています。それではまたメールマガジンでお会いしましょう!