前回は「働かざる者食うべからず」という話をしましたが、マジメに働いているのに給料は上がらないし余裕のある生活を送ることが難しくなっています。一体、どういうカラクリがあるのでしょうか?
マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツをはじめとしたアメリカの富裕層のなかには「自堕落なアメリカ人のためにお金を使いたくない」という人が珍しくありませんし、日本人のなかにも「やんわりと」そういうことを言う人がいます。
実は・・・・・・「アメリカ人であるわたしがアメリカ人のために頑張る」とか、「日本人であるわたしが日本人のために頑張る」という人が絶滅危惧種になりつつあるのは世界的な流れでもあるのです。
その理由はシンプルです。「そもそも国民国家というものが幻想」だからです。
あなたは「わたしは日本人」という意識をもっているかもしれませんが、「わたしは日本人」という認識自体、明治維新で大日本帝国が誕生した1854年から生まれたものです。
明治維新より前の江戸時代までは、人々は直接の統治者のいる藩を国(クニ)として認識していました。故郷に帰ることを「クニに帰る」と表現するのもその名残です。
重要なことは「わたしは日本人」という認識自体、人類が誕生した500万年という歴史からみればせいぜい170年の歴史しかない以上、「国民国家をこのまま継続できるか?」ということ自体がまったくの未知数であるということです。
欧州で国民国家が誕生したのはナポレオン戦争(1796年から1815)以降です。ナポレオン以前は、戦争は傭兵がやるのが常識でした。しかし傭兵は状況が悪くなると逃げてしまいます。傭兵が逃げるようでは戦争に勝つことはできません。
そこでナポレオンはフランスの兵士に「フランスのために戦うんだ、ヨーロッパに攻めていくのは、領土を得たいからではない。フランス革命のような自由、平等、友愛の世の中をつくるために攻めていくんだ。」と愛国心を訴えたわけです。
そしてナポレオンに敗れたプロイセンは領土が半分になりましたが、そのときにフィヒテという哲学者がベルリンの学士院で「ドイツ国民に告ぐ」という講演をしています。ここで注目すべきは講演のタイトルです。
実は、『ドイツ人』という言葉が使われたのはこの時がはじめてだったのです。当時のプロイセンの人びとは、プロイセン人でありババリア人だと認識していましたのですが、「ドイツ」という想像上の共同体でまとめられることになったわけです。
国民国家は戦争マシーンとして生まれました。大日本帝国の目的が「富国強兵」だったことも偶然ではないのです。しかし冷戦が終結した1991年以降、国民国家としての継続性が疑わしくなっています。
事実として冷戦終結以降、先進国の累進課税率は低下の一途をたどっています。そう。「自分が頑張って手に入れたお金を、なぜ自分よりも貧乏な人に配分しなければいけないの?」という意識のほうが今は強いのです。
アメリカでも「投資の神様」と名高いウォーレン・バフェット氏の税率が、ウォーレン・バフェット氏の秘書よりも低かったことが話題になり、Amazonの創業者ジェフ・ベソス氏にいたっては2017年と2011年に税金をまったく納めていないそうです。
アメリカでは「民主主義」や「人権」という大義のもとに戦地にアメリカ兵を送ることができなくなりました。象徴的だったのは2021年のアメリカ軍のアフガニスタン撤退です。
またアメリカ軍はロシアのウクライナ侵攻でも武器を提供するのみで、兵士を提供する気配がまったくないわけですがそれも当然のことなのです。「同じアメリカ人のためにですらお金を払いたくない」のに、遠い国の人たちのために自分たちの命を賭すことなどできるわけがありません。
アメリカはもう既に「世界の警察」という立場を放棄しているのです。
アメリカから日本に話を戻します。国民国家というものが戦争マシーンである以上、平和になれば存在意義がゆらぎます。存在意義がゆらげば、「日本人はみんな仲間」という意識が薄くなり空中分解しています。
空中分解した日本人をどのようにまとめればいいのでしょうか?
かつて天皇が日本人をまとめる象徴的な役割を果たしました。しかし戦後になると天皇は「人間」になり、心のよりどころを亡くした日本人は「戦争に負けたが経済では負けない」と一心不乱に働き、高度経済成長を達成しました。
高度経済成長を達成して「一億総中流」を達成する過程では、「天皇」でも「地域」でもなく、「会社」が心のよりどころになりました。しかし今では「終身雇用制度」もボロボロになり、非正規雇用という日本だけの制度により「社員は家族」は死語になりました。
天皇は人間になり、地域も空洞化し、家族も空洞化し、会社もよりどころとしての力を失い、個人もからっぽになりました。
割腹自殺した三島由紀夫は1970年に割腹自殺する4か月前に日本の行く末をこんな風に予言していました。
このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
現代日本を生きるわたしたちが目撃しているのは、まさに三島由紀夫が予言していた世界なのです。
三島由紀夫が予言していた世界を、象徴しているのが2021年に開催された東京オリンピックです。東京五輪の経費は1兆4,530億円だったのですが驚くべきことに・・・・・経費の裏付けについて説明しないまま大会組織委員会は逃げるように解散しました。
また持続化給付金の給付金事業は「サービスデザイン推進協議会」という幽霊法人が委託され、協議会が委託された仕事を電通に丸投げし、電通はさらに下請けに出すというスキームで120億円以上の税金が「中抜き」されていました。
上が腐ると下も腐ってきます。経済産業省の元キャリア官僚が新型コロナウイルス対策の「家賃支援給付金」と「持続化給付金」計約1,500万円を詐取したり、国税職員や税理士らの関与も疑われる事案が次々に発生するかつてない異常事態になっています。
そう。「日本人は勤勉でマジメ」である時代はもう終わっているのです。しかし「日本人」はダメになっても、「あなた」も一緒にダメにならなくてもいいわけです。(続く)
本レポートでは「日本人」という幻想についてお伝えしましたが、実は「結婚≒愛」や「お金≒価値がある」という『常識』も幻想なのです。興味がある方は以下のレポートを参考にしてください。