ロバート・ライシュ: 資本主義の救済

ロバート・ライシュ: 資本主義の救

クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュ教授は、『資本主義の救済』について考えました。資本主義には大きな矛盾があります。しかし現代人は資本主義にすがるしかありません。

なぜならば「資本主義にすがる」以外にわたしたちには選択肢がないように思えるからです。だからロバート・ライシュ教授も「資本主義をぶっ壊せ」とはいわず、資本主義を「救済」しようとしているのです。わたしたちはどこにいくのでしょうか?(どこにいけるのか?)

予告動画)資本主義の救済

資本主義の矛盾

「わたしたちはどこにいけるのか?」という問題について考えるために、「わたしたちはどこから来たのか?」という問題について問いたいと思います。そもそも資本主義の矛盾はどこにあるのでしょうか?

資本主義を研究したカール・マルクスの「資本論」は「資本制生産様式が支配的である社会の富は、膨大な商品の集積というかたちをとる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析からはじまる」という書き出しではじまります。

そう。マルクスが喝破したのは、資本制の矛盾の出発点には『商品』があるということだったのです。ひらたくいえば、商品はせっかく生産しても売れるかもしれないし、売れないかもしれないのです。ここに矛盾があるのです。

商品の二重性

「商品が売れるかもしれないし、売れないかもしれない」ということが、なぜ資本制の矛盾につながるのでしょうか?

それは資本制における商品が二重性をもっているからです。商品は一方では『使用価値』であると同時に『交換価値』でもあります。

例えば先日わたしは35万円の自転車を購入しました。35万円の自転車をわたしは「絶対に欲しい」と思いましたが、もしかしたらあなたは「なぜ?そんな無駄遣いをするのか?」と疑問に思うかもしれません。『使用価値』は消費者それぞれによって異なる特殊的なものです。

その一方で35万円の自転車という商品は、一般的でなければいけません。なぜならば(資本制における)商品である以上、不特定多数の人間に「35万円」という価格で販売しなければいけないからです。

商品は特殊的なものである一方で一般的なものでもある。この矛盾を解消するのが貨幣です。だから貨幣は「資本主義の権化」なのです。マルクスは「商品は貨幣に恋をする」と表現しました。

恋路はなめらかではない

マルクスの「商品は貨幣に恋をするようになる」という言葉を紹介しましたが、この言葉に続きがあります。マルクスはこの「恋路はなめらかではない」ともいっています。どういうことか?

例えばUBER EATSの配達員は、仕事の依頼があるたびに配達員専用アプリに「商品をピックアップする場所」・「届け先の大まかな住所」・「配達料金」が表示され、その仕事を受けるか受けないかの判断をせまられます。

しかしこのような状況は本来の資本主義では許されない行為です。なぜならば商品は「交換価値」である以上、交換することが前提になっている一般的なものだからです。商品である以上、いつでも、どこでも、誰にでも売らなければならないのです。

UBER EATS配達員が仕事を拒否することは、タクシーの乗車拒否に似ています。タクシーの乗車拒否が厳しくとがめられるのも「お金さえ支払えば、いつ、どこで、誰からでも、どんな商品でも買える」という大原則をねじ曲げる行為だからです。

貨幣が商品に恋をする

「お金さえ支払えば、いつ、どこで、誰からでも、どんな商品でも買える」ということは資本主義社会に生きる場合には当たり前かもしれませんが、前近代的な思想をもつ人間が商売をしている場合や、社会主義国家では当たり前ではないのです。

例えばサイゼリアという世界でもっとも売り上げのあるイタリアンレストランがあります。サイゼリアには細かいマニュアルがあり、お皿の置き方にまでルールがあるそうですが、そういう仕組みにしたのは「その日の気分で仕事をする料理人」に料理の品質や生産性を左右されないためです。

「その日の気分で仕事をする料理人」に出会うと悲惨な目にあうこともあります。事実、わたしは深夜のバーで「カレー」を注文したことがあるのですが、昔ながらの気質をもつbarの料理人に「こんな時間に誰がカレーを注文したんだ?」とキレられたことがあります。そう。お金があってそのお店の営業時間内であってもカレーが食べられないことがあるのです。

またソ連の時代もそうでした。映画「DAU.ナターシャ」で描かれたのは「商品が貨幣に恋をする」社会ではなく、「貨幣が商品に恋をする」社会です。「商品が貨幣に恋をする」資本主義社会ではお金をもっていれば商品を購入することができますが、「貨幣が商品に恋をする」ソ連ではその逆です。

「貨幣が商品に恋をする」ソ連では行列をみかけたら何を売っているのかわからなくても、まずは並んでみたのだそうです。資本主義を常識とする現代日本人には信じられない光景でしょう。

高級ブランド品を焼却

行列を見かけたら何を売っているかわからなくてもその行列に並ぶというのは、大変な非効率です。なんという大きな時間とエネルギーの損失でしょうか?

しかし資本主義にも大きな時間とエネルギーの損失があるのです。わたしの知り合いに高級ブランド品を取り扱っている人がいるのですが、その人は定期的に自社の商品を焼却するそうです。

なぜせっかく生産した商品を焼くのか?「もったいない」と思うのが人情かもしれませんが、商品を焼いて供給量を減らさないと高価格は維持できないのです。高級ブランド品だけでなく、コーヒー豆もキャベツでも事情は一緒です。

資本主義とはなんというムダの多い、資源とエネルギーを浪費する社会なのでしょうか?

社会主義というワクチン

現代人の多くは「社会主義よりも資本主義のほうが優れていたから資本主義が生き残った」というように単純に考えているフシがありますが、社会主義があったから資本主義が生き残ったという側面があることも見過ごしてはいけません。

マルクスは資本主義の矛盾を指摘しました。しかしマルクスが意図していなかったことは、自らの予言が資本主義社会のワクチンとなって、より強い資本主義が誕生することだったのです。

例えば資本主義で敗者となった労働者(失業者)は社会主義を支持するのが当然です。しかしそれを恐れた資本主義者は「社会保障」という枠組みを導入して労働者を保護するようになります。

つまり「資本主義社会は社会主義に飲み込まれてしまうのでは?」という脅威があったからこそ、資本主義体制は柔軟な対応をしてきたのです。では冷戦が終結した現代はどうか?

社会主義という抑止力がなくなった資本主義はむき出しの本性を隠そうとしなくなりました。その結果、格差の拡大、中間層の分解、鬱屈した中間層を釣る「不安のマーケティング」が猛威をふるっているのです。

もしあなたが「漠然とした将来の不安」を抱えているのであれば、それは偶然ではないのです。