社会に通用する 学習の秘訣 【7/7】

「資格や学歴があったところで、社会で通用しなければ意味がない」と考えている方のために、「そもそも社会で通用するためには、どのような能力・スキル・知識が必要なのか?」という問題意識を共有しました。

次にあなたと共有したいのは「社会に通用する力の鍛え方」です。

あなたがこれから学習する知識がどのようなものであれ、社会で通用するためには「ある基準」をクリアする必要があります。本ポートでは「ある基準」についてわかりやすく解説しますので、是非とも最後までお付き合いください。

違いがわかるか?

かつて「違いのわかる男のゴールドブレンド」というセリフで有名なネスカフェのCMがありました↓↓↓

もしあなたが「社会で通用する力」を獲得したいのであれば、ネスカフェのCMを思い出してください。あなたが目標とするべきレベルは「違いがわかるレベル」なのです。

「違いのわからないレベル」と、「違いのわからないレベル」との差は、とてつもなく大きいです。例えば・・・・・

うんこ・あんこ

英単語の「fuct」と「fact」は、日本語では同じ「ファクト」ですが、意味は全く異なります。英語に苦戦していた中学生の時、わたしは「英語って・・・発音するのも、聞き分けるのも難しいなぁ~」と感じていたのですが、英語の先生曰く「英語圏の人たちにとっては、『あんこ』と『うんこ』ぐらいの違いがある。」とのこと。

日本人なら「日本語の違いがわかる」ので、『うんこ』と『あんこ』を間違えることはあり得ません。同様に、英語圏の人たちにとっても「fuct」と「fact」は間違えようがないのです。

またわたし戦略コンサルタントのアナリスト(一番下の役職)として働き始めた当初、データ分析の結果を上司にチェックしてもらったのですが、資料をチラッと確認しただけの上司から「あー、間違っているのでやり直し。」とダメ出しされてしまいました。

当時のわたしは「データの羅列をちょっと見ただけで間違いに気づくなんてバケモノか?」と驚愕しましたが、「違いのわかる上司」にとっては部下の間違いを指摘するなんてことは朝飯前だったのです。

さらにわたしがアフィリエイトに挑戦している時に衝撃的な体験をしました。ひとりで年間3億円以上のアフィリエイト収益を獲得した「スゴイ人」に、わたしの書いた文章を添削してもらったことがあったのですが、すぐにダメ出しされてしまったのです。

なぜダメ出しされたのかといえば理由はシンプルに「わかりにくいから」でした。わたしは添削指導を受けてはじめて「わかりやすい文章」というものがどういう文章なのか?ということが、ちょっとだけわかった気がしたのです。

理屈抜きでわかるか?

わたしの父は、原寸大のバイク模型を粘土でつくるエンジニアの仕事をしていたのですが、粘土の模型を手で触れば0.1mm以下の誤差もすぐにわかると豪語していました。

また映画が大好きなわたしの知人は、スターウォーズあるシーンが『七人の侍』(黒澤明監督)のオマージュだと教えてくれました。

さらにたまたまバーで知り合った「ブレンダー」という肩書をもった男性は、ウィスキーのかすかな匂いや味の違いを見極めることができなければ仕事にならないと教えてくれました。

そう。あらゆる分野において、わかる人にはわかることがあるのです。というか「わからない場合」には、そのスキルは社会で通用しないのです。

もっと身近な例を挙げましょう。

わたしは家族の表情や態度をちょっと観察するだけで、「元気があるか元気がないか?」、「問題を抱えているか?問題を抱えていないか?」ということがなんとなくわかります。

むしろ奥さんが不満を抱えているのに「不満があるなら言葉にしてもらわないとわからない」というような態度で問題を放置するのであれば、愛想をつかされてもしょうがないでしょう。

そう。「違いがわかるかわからないか」ということは、頭で考えてわかるかわからないか?というような話ではなく、もっと直観的で臨場感をともなった次元の話なのです。

秘訣は「臨場感」

1968年に私立高として初の「東大合格者数日本一」を達成した灘校(神戸)には、『伝説の国語教師』といわれている橋本武先生が在籍していました。橋本先生の授業は独特で、中高一貫の6年間で利用するテキストは「銀の匙」という小説1冊のみ。

橋本先生の授業は「臨場感」を重視していました。文字だけで生徒に伝わらないと感じたらイラストを描いたり、銀の匙に駄菓子が出てきたら実際に駄菓子を準備して生徒に食べさせたり、凧をあげるシーンが出てきたら校庭にでて生徒と一緒に凧をあげたり・・・といった具合です。

「普通の授業をやっていたら、何も頭に残らない。生徒の頭に生涯残るテキストで授業をしたい。」と生前に語っていた橋本先生は、臨場感(リアリティー)こそが学習の秘訣であることを知っていたのでしょう。

しかし実は・・・・臨場感が重要であることは、はるか昔から一部の人たちにとっては当たり前のことだったのです。

例えば『仏像』は、仏や菩薩の存在を強く感じた状態で瞑想するためのツールです。また『曼荼羅』(まんだら)はお経の世界を絵というビジュアルで描くことで瞑想の手助けをするツールなのです。

【参考】胎蔵界曼荼羅

胎蔵界曼荼羅

お経は釈迦が説いた教えをテキストで記録したものですが、言葉の意味だけを理解したところで実感をもてなければ意味がありません。南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)と1,000,000回唱えても釈迦の教えを理解したことにはならないのです。

だから『仏像』や『曼荼羅』といったツールを活用して「そのときの菩薩の気持ちはどうだったのか?」などと考えながら瞑想することで、お経の世界の臨場感を強めることが重要なのです。

現代の最強ツール

臨場感を強めることが「社会で通用する力」を鍛える秘訣です。どのようなスキルや知識であれ、臨場感がないスキルや知識は役に立たないのです。

では臨場感を強めるためにはどうすればいいのか??という話になるわけですが、臨場感を強めるための伝統的な方法は「修行」です。

理屈抜きで「スゴイ人」と一緒の時間を過ごしたり、理屈抜きで「スゴイ経験」をすれば、臨場感を高めることができます。わたしも「スゴイ人」を発見したら、できる限り会いにいって直接教えを乞うようにしています。

しかし残念ながら「スゴイ人」を発見してもすでに亡くなっているなどの理由で会うことができなかったり(例:釈迦)、「スゴイ経験」をする重要性は理解していてもいろいろな理由で体験できない(例:戦争、革命、スキャンダル)・・・なんてことは珍しくありません。

そこで役立つのが「映画」です。テレビもない時代の人たちは『仏像』や『曼荼羅』に頼るほかなかったかもしれませんが、現代文明に囲まれたわたしたちは気軽に「映像体験」を学習に役立てることができます。例えば・・・・

鬼滅の刃

『鬼滅の刃』(無限列車編)を鑑賞するだけで、「現代社会をどう生きるか?」という漠然としたテーマであっても、臨場感を味わうことができます。

具体的には『鬼滅の刃』に登場する鬼は、もともとは人間だったというところがポイントになります。

『自分の幸せ』のためには手段を選ばない「鬼」として生きるか?それとも「他人の幸せが自分の幸せ」として感じられる「人間」として生きるか?という問いを、『鬼滅の刃』を鑑賞した全員が突き付けられて心をゆさぶられるわけです。

少年ジャンプの連載マンガを観て、いい年した大人までもが『煉獄杏寿郎』の「命を懸けて鬼と戦う」美学に心を動かされて涙を流すのは、「渡る世間は鬼ばかり」であることを無意識では気づいているからです。

権力者は口をそろえて「みなさんのため」と発言しますが、「お金や権力維持・拡大のため」という動機が隠れていることを、誰もが薄々は感じているのです。(NHK、オリンピック、経済対策、コロナ対応 等)

鬼だらけの社会

あなたは鬼だらけの社会をどう生きるでしょうか?

あなたも鬼になるという選択肢もあります。しかし鬼になったところで幸せになれるとは限りません。なぜならば鬼にも序列があり、都合が悪くなったらあなたも切り捨てられてしまうからです。(河井克行・河合杏里)

鬼になるのはイヤだ・・・・しかし鬼殺隊の隊員のように正義を全面に押し出すような生き方は現実的ではない・・・・一体全体、どうすればいいのか?などと考えるのが一般的な反応でしょうが実は・・・・・・

そもそも鬼だらけの社会になったのはなぜなのか?」とか、「鬼だらけの社会でどう生きるのか?」というような問題をモチーフにした映画作品はたくさんあります。世界で活躍する一流の表現者が、いろんな形で処方箋を提案していますので、それをムダにするのはモッタイナイ・・・・

というわけで、わたしは自分のコーチングプログラムでは「映画鑑賞」による映像体験を重視しています。映画を鑑賞すれば、わずか2・3時間で「違いのわかる人」になる可能性を飛躍的に高めることができるからです。

そしてここからが本当に伝えたいことなのですが・・・・映画による映像学習を重ねると・・・・・半端ない効果が得られるのです。

言葉の次元を超える

同窓会などで久しぶりに会う学生時代の友人と盛り上がることができるのは「共通体験」があるからです。

「共通体験」があると円滑なコミュニケーションが可能になります。言葉でくどくどと説明しなくても「あのとき、こんなことがあった」という漠然としたコミュニケーションでもお互いにわかり合えるのです。

同様に・・・・わたしとあなたが同じ映画を鑑賞すると「共通体験」をつくることができます。すると「あの映画のあのシーンの話でこんなことがありましたが・・・・」という形式でコミュニケーションを展開することができるのです。

事実、先ほど紹介した『鬼滅の刃』(無限列車編)をあなたが鑑賞しているのであれば、言葉で説明するだけでは超えられない壁を超えたコミュニケーションをすでに体験しているのではないでしょうか。

さらに『鬼滅の刃』(無限列車編)を観た前提で、また別の映画を鑑賞すると・・・・なんと・・・・さらに上の次元でのコミュニケーションを実現できるのです。

なぜわたしが言葉で説明するだけでは超えられない壁を超えることに本気でこだわるのかといえば・・・・

学問に体感は不可欠

いくら学歴や資格があっても、インプットした知識に体感がともなわなければ社会では通用しないことを確信しているからです。

アメリカに留学した日本人の学生が、警察官から銃を向けられて「Freeze」(動くな!!!)といわれているのに「Please」と勘違した結果、撃ち殺されてしまった事件がありました。(1992年10月17日の日本人留学生射殺事件)

同様に、わたしが外資系の経営コンサルタント会社から脱サラして痛感したことは、体感をともなわないビジネスの知識ほど役に立たないものはないということでした。

もちろん勉強しなくてもそれなりに生きていくことはできますし、「わかった気になっている」レベル≒(違いがわからないレベル)でも、社会生活を営むことは可能です。

勉強してもしなくても、資格があってもなくても、18歳になったら「成人」認定されて、社会に放り込まれるわけですが・・・・残念ながら・・・・「わかった気になっている」レベルでは現代社会に蔓延している不安から逃れることができず、自信をもって「普通」に生きることすら難しくなっているのです。

お金の不安、将来への不安、人間関係への不安、コロナの不安、政治への不安・不信・無関心、、、、、とめどなく押し寄せる怒涛(どとう)の不安をやり過ごして、日々の生活を充実させることができるかどうかは・・・・あなたが「違いのわかる男(女)」になれるかどうかにかかっているのです。

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プロフィール

坂本輝(さかもと あきら) ライフコーチ
「資格や学歴があっても社会で通用する力が身についていなければ意味がない」ことを痛感しているのに突破口が見つからない方のために、【社会で通用する力を鍛える】オンラインコーチングプログラムを提供しています。「このままでいいのか?」という不安を放置しないで、自分・家族・仲間を守る行動を今すぐはじめませんか?