謝罪の王様 ~ 謝るが勝ちという非常識?

謝罪の王様

外国映画を観ていると「よくわからない」ことがたくさんあるあります。正直、理解不能だと思うこともあるでしょう。

しかし逆に外国人が日本映画を観ても「よくわからない」ことはあるはずで、今回紹介する映画『謝罪の王様』もその一つだと思われます。

予告動画)謝罪の王様

井岡一翔の困惑

2020年末に実施された「井岡一翔 VS 田中恒成」さんのボクシングの試合は世界的にも注目の一戦でした。ケチがついたのは、試合から4カ月後のことでした。「尿検査の結果、井岡選手側の尿から陽性反応が出た」というような報道がされたのです。

この一報を聞いた時、ほとんどの人は真に受けたはずです。しかしその後明らかになったのは衝撃の事実でした。JBC(日本ボクシングコミッション)は、採取した尿を冷凍せずに数日間放置し、試合から数日経過してから検査機関に尿を提出していたのでした。

尿検査するべきでない状態の尿を『尿検査』して陽性反応がでても全く意味がないのですが、その情報がJBC内部の人間によってどうやらリークされたようなのです。2021年4月26日にはデイリー新潮が今回の件を報じ、井岡選手は警視庁からの聞き取りに応じているそうですから迷惑な話です。

井岡選手は責任を明確にするようにJBC側に要求しましたが、JBC側はある日突然公式ホームページに「名誉が著しく傷つく結果となり、大変申し訳なくおわび申し上げます」という一文を載せて幕引きを図ろうとしています。

しかし井岡選手側によればJBCから文書や直接の謝罪はなく、公式サイトでの突然の表明に困惑しているとのこと。なぜ?このような対応が許されるのでしょうか?

謝罪の意味

あらゆる日本の組織が「共同体」になっており、共同体では競争原理が働かないため責任問題にも発展せず、組織を改善するどころか現状をひたすら維持する力学だけが働いてしまうことが最大の問題でしょう。しかしここで指摘したいのは別のことです。実は、欧米やアジア諸国と日本では「謝罪」することの意味がまったく異なるのです。

欧米やアジア諸国では、謝罪した人は、謝罪された人に責務を負うことになります。謝った瞬間に、両者間の人間関係は対等ではなくなるのです。

その一方で日本における謝罪の意味は欧米やアジア諸国と反対なのです。日本では謝罪すれば悪いことは「水に流される」ことになります。わだかまりもすべて全部なかったことになることが期待されるのです。

欧米やアジア諸国では「謝ったら問題が発生する」のに対して、日本では「謝ったら問題が消えてなくなる」のです。だから悪いことを自覚している場合、日本では「先に謝るが勝ち」ということになります。JBCの態度をみればまさに日本的な発想で謝罪していることがわかるでしょう。

先に謝るが勝ち

不倫を疑われただけで「お騒がせしました」と謝るのが日本流です。日本は空気の国です(山本七平)。だからアイツは悪いやつという空気が蔓延する前に「水に流そう」とするのです。日本では客観的に「善」と「悪」が決まっているわけではないからそうなるのです。

例えば同じ「不倫した芸能人」であっても、ある人は何食わぬ顔をしていまもテレビに出演している一方で、「芸能界追放」のごとき処分を受けた人もいます。客観的な「善」「悪」でなく、人間関係にみなぎる空気によって処分が下されるからそうなるのです。

日本では(歴代の)総理大臣までもが「先に謝るが勝ち」という手法を用います(例:土下座外交)。欧米やアジア諸国の国民であれば「問題と認めたなら責任をとれ」と判断するところで、日本人は「問題と認めて謝ったなら誠意があるのだろう」と判断しがちなのです。

外国にも国民にも謝ってばかりで、問題を本気で改善することもなく先送りし続けた結果として、経済指標でも社会指標でもコロナ対応でも「低空飛行」をひたらすら続ける日本があるというのは言い過ぎでしょうか。