失敗の本質 ~ 「危機の時には仕事をしない」という伝統芸

失敗の本質

『失敗の本質』という名著があります。戦後34年にして「大東亜戦争開戦したあとの日本の『戦い方』『敗け方』を研究対象」としたものです。しかし「大東亜戦争」というテーマからしてとっつきにくいイメージがありますし、現代日本人のほとんどが「忙しいなかわざわざ時間を割いて読むほどの本ではない」と判断してしまうのでしょうか?

せっかくの名著も誰も読まなければ宝の持ち腐れです。そこで本記事では「現代人こそが失敗の本質を読むべき理由」について、わかりやすく解説したいと思います。

なぜ役立つのか?

そもそも『失敗の本質』は、日本軍の組織的な失敗から導きされる教訓を、現代の組織に役立ててもらうことを念頭にしています。本文の中にハッキリと「大東亜戦争の遺産を現代に生かす」という記述があります。

しかしなぜ大東亜戦争における日本軍の教訓が、現代の組織に役立つのでしょうか?

その理由はズバリ「日本軍の組織的特性は、現代の組織にも継承されているから」です。本文のなかにもハッキリと「日本軍の組織的特性は、その欠陥も含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承」という記述があります。

戦時中の日本には政治家、財閥、官僚、陸軍、海軍などの勢力がありましたが、敗戦するやいなやそれらの組織はアメリカによって解体されて再編されていきました。しかし唯一「官僚組織」だけがほとんど手を加えられずに生き延びて現代日本で絶大な権力を握っているのです。

そして官僚の組織的特性は、いまや日本全体に広がっているのです。一昔前は「お役所仕事」という言葉は、窓口のたらいまわし、行政の杓子定規な回答や融通の利かない対応などに用いられましたが、いまでは会社、政党、病院、学校、組合、宗教団体などの組織までもが「お役所仕事」をしています。

失敗が凡ミスとかケアレスミスとか、個人のミスということであれば、同様のことは二度と起きないかもしれません。しかし失敗の理由が組織的な特性に基づいたものであるならば、失敗は繰り返される可能性があるのです。同じ過ちを繰り返さないために、現代人は大東亜戦争における日本軍の組織としての失敗を学ぶ必要があるというわけなのです。

失敗の本質とは?

ではわたしたち現代人が繰り返す可能性のある「組織的な特性に基づいた失敗」の『組織的な特性』とは具体的にどのようなものなのでしょうか?

ズバリ「機管理能力不足」です。日本軍は平時のときはどうにかやっていても、危機になるとパニックを起こして有効に機能しなくなっていたというのです。軍隊は危機のためにあります。危機の時に有効に機能しない軍隊は軍隊ではありません。

軍隊ではない「軍隊」で戦ったのですから、大東亜戦争は負けて当然・・・とまでは、失敗の本質の著者たちは断定していないのですが、危機になるとパニックになる「軍隊」が戦争で勝てるとは思えません。

さて、本題はここからです。「失敗の本質」の著者たちの懸念は現実のものになりました。そう。コロナです。

コロナ禍における危機対応

コロナ禍を戦争に例える人がいますが、戦争に例えるなら日本は戦争に負けていると日本国民のほとんどが感じているのではないでしょうか。コロナを抑え込むことにも失敗し、ワクチンの国民接種率はその他先進国のなかでも圧倒的に低いことはあなたもご存知でしょう。

東京では2021年4月12日からは「まん延防止等重点措置」がスタートしましたが、1週間も経過しないうちに小池都知事は「緊急事態宣言を出すべき」と主張しました。東京都にしても日本政府にしても第一波から1年以上も経過したにも関わらず、さまざまな「自粛要請」を壊れたラジオのように繰り返すばかりなのです。

最大の目的は時間稼ぎ

そもそもロックダウンにしても(日本では緊急事態宣言による不要不急の外出自粛要請)最大の目的は「時間稼ぎ」でしかないのです。ロックダウンやが外出自粛要請を解除すれば、コロナ患者はまた増えます。

そのことを見越して、ロックダウンや外出自粛要請をしている間に対策を講じる必要があったのに、あろうことか時間稼ぎをしている最中に、日本政府はほとんど何もしなかったのです。

そもそも2020年を振り返れば、国会は6月17日で閉会しました。野党が12月28日までの194日間延長することを申し入れましたが、自民党に拒否されました。自民党の森山国会対策委員長は、国会を延長しない理由として「一番大事なのは、予算成立後、政府にしっかりと執行に向けて頑張ってもらうことだ。国会は開いていると経費もかかる。」とコメントしました。

後世の日本人は(日本が滅びていなければ)、コロナ禍という国難の時期に国会の機能が「停止」していたことに驚いて開いた口がふさがらないでしょう。日本軍はパニックになり有効に機能しませんでしたが、それから70年が経過すると日本の国会議員は働く気配すら見せなくなってしまいました。

危機の時に「本当にやるべき仕事」をせずに「やっている感」ばかりを演出するという作法は、日本の政治家や官僚の伝統芸になっています。そしてその伝統芸の本家本元は、戦前戦時中から存在していたのです。あなたもそのことを知るべきです。