白い巨塔 ~ 威信なき富は社会的に無

2019年に「上流国民」という言葉が流行語にノミネートされた時、テレビや新聞は「そんなものはない」という論調でした。本当に上流国民はいないのでしょうか?今回はそんなことを考えるきっかけになりそうな映画『白い巨塔』を紹介します。

予告動画)白い巨塔

階層のモノサシ

朝から晩まで必死になって働いても生活苦に追われている多数の庶民がいる一方で、大して働きもせずに大金を手にする輩がいます。

例えば2021年東京五輪・パラリンピックの大会運営に当たるディレクターなどの日当には、なんと35万円もの予算が割り当てられているそうですが、人材派遣会社のパソナは日給1.2万円で募集していました。お金はどこに消えるのでしょうか?

『上流国民許すまじ!!!』と不満を漏らす人もいるでしょうが、『上流』や『下流』を区別するモノサシは一体どのようなものなのでしょうか?

金はしょせん金

白い巨塔のなかで、大阪の開業医である義父は娘婿の財前五郎に対し「金はしょせん金にすぎん。」といいます。これは要するに威信のない金などは社会的には大したことがないということをいっているのです。

威信とは何か?簡単にいうと「人に尊敬される」ということです。どんなにお金があっても人に尊敬されなければ、その人の存在は社会的には無に等しく、多くの人はそのような状況に耐えることができないのです。

事実、高級車をみると「あいつは悪いことをしているに違いない」と判断する人も世の中には一定数存在するのです。そういう社会ではいくらお金がたくさんあって、そのお金で高級品を購入しようが尊敬を勝ち取れるわけではないのです。

お金で何を買うか?

現代日本人は上級や下流という言葉に反射的に「お金」を結びつけるでしょう。お金をモノサシにして勝ち組(上流)や負け組(下流)を区別してしまうのです。しかし必ずしもお金だけがモノサシになるわけではないのです。

財前五郎の義父は拝金主義者です。金をもとめて働きづめの苦労人だからこそ、金の威力を知っています。拝金主義者である義父はお金で何を買うのでしょうか?それは「威信」です。

拝金主義者の義父だからこそ「お金があれば威信が手に入るわけではない」ことを理解しているのです。だからこそ義父は浪速大学助教授の財前五郎を教授にするために金銭を惜しまず、権謀術数を試みるのです。

威信がお金を生む

テレビ出演のギャラが安いとか、事務所からもらえる給料が安いなどと文句を言う芸能人やタレントがいますが、それにも関わらずテレビに出演しようとするのは、テレビ出演によってお金では得られないもの、そう、威信が手に入るからです。

テレビに出演したからといって必ずしも人気者になれるわけではありませんが、「テレビに出ている人」というだけで、なんだか一般庶民とは違う存在であると感じてしまうのが庶民の性というものなのでしょう。

勝ち組か負け組か、お金持ちか貧乏かで社会的な階層を判断できるのはあくまでも『資本主義』の国においてです。資本主義の国では、お金持ちはそれだけで尊敬されます。しかし必ずしも日本ではそうではない。ということは日本は必ずしも資本主義ではない。のですが、その話はまた別の機会にとっておきましょう。