沈黙 -サイレンス- ~ キリスト教オンチを矯正できる最良の教科書

もしあなたがキリスト教を理解しなければ、資本主義も経済学も理解できないでしょうし、アメリカ発の自己啓発やコーチング理論もまったく意味不明なものとなるでしょう。

つまりキリスト教を理解していないということは、「世の中のカラクリ」(資本主義)を理解できないということを意味しますので、あなたのこの先の人生は、真っ暗闇のなかで目隠しをしたまま手探りで前進するような不安を抱えるハメになるかもしれません。

とはいえ、日本人にとってキリスト教を理解することはとてつもなく難しいことでしょう。生まれたときから教会が身近な存在としてある欧米人と違って、日本人がキリスト教を学習する機会はほとんどありませんし、「宗教の勧誘」という時点でものすごく日本人は警戒します。

とはいえ、キリスト教に入信せずともキリスト教を学ぶことはできます。例えば本記事で紹介する映画「沈黙 -サイレンス-」は、あなたがキリスト教の本質を学ぶ上で最良の教材になるはずです。

沈黙 -サイレンス-(予告編)

映画を100倍楽しむために

『沈黙 -サイレンス-』は間違いなく名作ですが、おそらく日本人観客のほとんどは前提知識なしにこの作品を鑑賞しても、この作品の良さが理解できないと思います。そこでこの作品の本質的な部分をあらかじめ解説しておきたいと思います。

「ネタバレしちゃうの?」と、あなたは警戒するかもしれませんが、本当にいい作品というものは、本質的な部分においてネタバレされても、鑑賞する価値を損なうことがありませんのでご安心ください。さっそく解説します。

さきほど紹介した予告動画を観てもらえばわかると思いますが、『沈黙 -サイレンス-』は、日本にキリスト教を布教しにきた宣教師と、日本のキリスト教徒が宗教弾圧される様子を描いた話なのですが、この作品を理解する上でもっとも重要なポイントは・・・・

宣教師も、日本人キリスト教徒も、弾圧する側も、ほとんど全員がキリスト教を完全に誤解している」という点にあります。

例えば「踏み絵」。キリストが描かれた絵を「踏め!!」といわれて、踏めないのがキリスト教徒である・・・とあなたは信じて疑いもしないでしょう。実際に、踏み絵を踏まないことを選んだたくさんの日本人キリスト教徒たちは処刑されてしまいます。

しかし仮にキリストがそのような場面を目にすれば、間違いなく「踏め!!」とアドバイスするでしょう。なぜならばキリスト教においては、「内面の信仰」のみが問題になるのであり、「外面の行動」は信仰とは一切関係がないからです。

しかし『沈黙 -サイレンス-』を鑑賞してわかることは、宣教師も、日本人キリスト教徒も、弾圧する側も、そのことを全く理解していないということです。

つまりキリストが描かれた絵を踏んでも、唾をかけても、叩き割ったとしても、キリストを冒涜したことにならないのです。ですから踏み絵を拒んで処刑されるなんてことは、極論すれば「無駄死」ということにならざるを得ないわけです。

キリスト教を本当の意味で理解している人がこの作品を鑑賞すれば、本来であればキリスト教を理解していなければいけない宣教師までもが、キリスト教による無知のためにしなくていい苦労(弾圧される)どころか、命まで失うという状況に絶望するわけです。

しかし救いがないわけではありません。なんと・・・・「イエス・キリストへの信仰(だけ)によって救済される」ということを誰から教わるわけでもないのに苦悩の末に悟る人物があらわれるのです。そしてキリスト教の本質を悟ったその人物は、弾圧する側にとっては棄教したとしか思えないような人物だったのです。

もっともな疑問

以上の解説を読んでから作品を鑑賞すれば、タイトルの「沈黙(サイレンス)」の意味についても少し考えるだけで理解できると思います。

しかしここまでの解説を理解したあなたであれば、「なぜ?本場の宣教師がキリスト教を誤解していたという摩訶不思議な状況が生まれたの?」という疑問をもつはずです。その点については、また機会があれば詳しく解説したいと思います。