フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 ~ 負ければ犯罪者なのか?

日本におけるコロナの状況について「さざ波」と発言したことについて、「亡くなられている方もいる中、さざ波笑笑とは神経を疑う。危機感がない」などというネット上の発言を紹介しつつ、高橋洋一氏を批判する論調の大手メディアの記事があふれています。

事実接近のメカニズム

「日本のオリンピック問題」をどう評価するのか?評価は主観的なものであり、当然、別の評価もあり得るし、多くの批判も可能です。例えば高橋洋一氏の「さざなみ」発言に対しても、「いやさざなみではない」とか、「さざなみであっても別の問題は残る」などの反論も可能です。

そもそも反論、再反論、再々反論・・・・という過程を通じて情報は事実に近づいていくのであって、この『事実接近の過程』において、批判はありえても「危機感がない」というような糾弾はありえないはずなのです。

しかし残念ながら日本では『事実接近の過程』なるメカニズムがほとんど全くと言っていいほど機能せず、「主張」と「その人の人格」が分離されずに、「異を唱えた人」自体が糾弾の対象になってしまうのです。

「主張」と「その人の人格」が分離されずに「異を唱えた人」自体が糾弾の対象になるというのは、言論の自由が日本では実現されていないことのなによりの証拠だと思いますが、このようなことはなにもいまさら驚くべきことではありません。

事実を検証する気がない

昔自民党の奥野誠亮(おくのせいすけ)元法務大臣が『慰安婦は商行為ではないか』という発言をしたとき、こんなことがありました。

朝日新聞は本当に『商行為』だったのか?という事実の検証をするのではなく、法務大臣がそういう発言をすること自体が「アジアの女性を侮辱するものだ」として断罪したのです。

テレビに登場するキャスターは、奥野誠亮氏らの発言のたびに『言語道断』という素振りで顔をしかめて問答無用で言論を封殺しました。まさに暗黒裁判。日本のマスコミは『マスコミ』とも『ジャーナリズム』ともいえる代物ではないのです。

そして恐ろしいことに日本人のなかには、日本では日常的に暗黒裁判、魔女裁判なるものが行われていることを自覚していない人も珍しくないのです。そしてこのような無自覚な態度が国を滅ぼすといっても過言ではないのです。

また日本の悪口か

例えば日本の歴史教育においては、大東亜戦争は本当に「侵略戦争」だったのか?とか、「南京大虐殺」は本当にあったのか?とか、日本軍は「従軍慰安婦」を「強制連行」したのか?などという極めて重要な問題において、事実に即した正確な歴史観を教えることをしていません。(各テーマについては機会をみて解説する予定です)

藤岡信勝(元東京大学、拓殖大学教授)によると、日本の学生は日本史の授業がはじまると「ああ、また日本の悪口か」とつぶやくそうですが、日本の悪口ばかりの授業を受けていて日本人であることに誇りをもてるわけがありません。

わたしがこのことを問題にするのは、どの国でも当たり前のように自分の国の国民であることに誇りをもているような教育をする一方で、日本だけが自虐的な教育を今も続けていることにより、エフィカシー(自分にはできると思える力)の低い子どもたちが大量生産されることを危惧しているからです。(もう手遅れかもしれません)

日本が一億総中流の時代は「強い経済力」というものを自信の根拠にすることができたかもしれませんが、一億総中流が崩れた現在において、日本の子どもたちはどうやって希望や自信をもてばいいというのでしょうか?どうすればGHQの占領政策からはじまる戦後の謝罪外交・反日マスコミの虚偽・自虐教育などによる傷を癒すことができるのでしょうか?

現在の日本教育が戦後に誕生したものである以上、アメリカ人の口からヒントをもらうのがよいでしょう。参考になる映画を1本紹介します。

予告動画)フォッグ・オブ・ウォー

85歳の総括

「フォッグ・オブ・ウォー」は、フォード社の社長から、アメリカ国防長官になったマクナマラ氏が証言するドキュメンタリー作品です。

「わたしの人生は戦争と共にあった」という告白からはじまり、東京大空襲により一晩で子どもを含む10万人を殺した事実について「勝てば許されることだったのか?」とか、「日本全土、67都市を爆撃し、その上、原子爆弾まで落とす必要があったのか?」とか、「わたしは戦争にも目的と手段のつり合いが必要だと考える。」などの、貴重な発言が記録されています。

そしてマクナマラ氏の上官であったルメイ中佐にも、(太平洋戦争に)「負ければ(自分たちは)戦争犯罪人だ!」という自覚があったことにも触れられています。日本の教科書でしか歴史を学んでこなかった人には是非とも鑑賞していただきたい作品です。