ザ・ホワイトタイガー ~ 作為の契機を発揮できるか?

デーブ・スペクターさんが「今のインドがわかる」という触れ込みでおススメしていた『ザ・ホワイトタイガー』を鑑賞しました。「今のインドがわかる」のが本当かはわかりませんが、『伝統主義』や『社会契機』について理解する上でいい教材になると思ったので解説したいと思います。

予告動画)ザ・ホワイトタイガー

インドの伝統

インドには「社会は変えられない」という伝統があります。インドでは習慣、風俗、規範、みんなきちんと定まっていて、これに触れることはタブーになっています。特にカースト制。

カースト制を理解するためには、ヒンドゥー教のドグマ(教義)の中核にあるのが輪廻の思想について知っておく必要があります。『天上』、『人間』、『修羅』、『餓鬼』、『畜生』・・・『地獄』という階層があり、生物はそれらのいずれかに生まれます。

さらに『人間』のなかに『カースト』という細分化された下位構造があり、現世で所属するカーストは前世までの因果によって決まるとされているのです。

ヒンドゥー教における救済は、この輪廻のなかで死にかわり生きかわることによってなされます。現世で報われなかった人も、善果(よい行いの結果)をつむことによって、来世ではいいことがあるとされているのです。

だからインドの人は外国人から「カースト制なんてやめちまえよ」といわれても、「余計なお世話」としか思えないのです。ちなみにオウム真理教はこの救済の論理を悪用しました。

そもそも大乗仏教を名乗るオウム真理教がヒンドゥー教のアプリオリの論理(神様が決めた絶対的なものがある)という論理を利用するなんてこと自体がおかしいのですが、『ポア』という論理で正当化したのです。「(殺人の対象者が)地獄に落ちることを防ぐために、殺してやらなければならない。しかもなるべく残酷に。」というわけです。

作為の契機

インドには「社会は変えられない」という伝統があることを説明しました。あなたは「遠い国にはそういうこともあるのね。ご苦労さん。」と思いたくなるかもしれません。

しかし実は日本にも「社会は変えられない」という伝統主義が蔓延っているのです。例えば「ハンコ」や「国会で『ぎちょーと大声叫ぶ」というのも日本の伝統主義の産物です。

そして伝統主義と対をなすのが「作為の契機」なるものです。作為の契機とは「社会は人間がつくった。しがたって、人間によって変えることができる」という考え方のことです。

日本は伝統主義がはびこっており「作為の契機」は欠片もありません。コロナ禍において多くの人が「しょうがない」といって社会的な事実を無条件に受け入れていることが何よりの証拠です。

アメリカではワクチン接種数が1日100万件ほどだそうです。日本では平均すると1日10万件ほど。なぜアメリカ人にできることが日本人にはできないのか?それは日本人が伝統主義者であり、アメリカ人が伝統主義を破壊できる「作為の契機」をもっているからです。

例えばアメリカでは医師でなくてもワクチンが打てるように法律を改正したそうです。だから消防員がワクチンを打ち、コロナ禍で職を失った劇団員がワクチン会場の案内をやっていたりします。

もし同じようなことを日本でやろうとすれば、「本当に医師がワクチンを打たなくて大丈夫なのか?」、「安心安全は担保できるのか?」などと猛烈に批判された挙句、伝統を破壊するような提案はあっさりと拒否されてしまうでしょう。

そう。映画「ザ・ホワイトタイガー」の主人公は『あなた』かもしれないのです。