卒業 ~ 親のレールを外れる若者に幸あれ

序盤に「セックス、デス(死)、ラウドノイズ(大きい音)」の場面を用意することで、観客の目をくぎ付けにする手法は現在では映画でもドラマでも当たり前になっています。

しかしヘイズコード(1934年~68年まで導入されていたアメリカ映画への検閲制度)が存在していた時のハリウッドではそうではありませんでした。

例えば夫婦の部屋にあるベットは、部屋の端と端においてあり、夫婦は別々に寝るといった具合です。政治的な要素は排除され、勧善懲悪(善が悪を懲らしめる)といった作品がもっぱらでした。

「そんなの嘘っぱちじゃないか?」という反動から、いわゆるニューシネマの時代がスタートするわけですが、今回紹介する映画はその先駆けとなった作品です。

予告動画)卒業

砂を噛むような毎日

アメリカンドリーム(郊外にプール付きのマイホームを手に入れる)を手に入れたはずなのに、その毎日は砂を噛むように味気ない・・・・・どうするか?

映画『クリーピー 偽りの隣人』に登場する美人妻(演:竹内結子)も同様の悩みに直面し、最後には社会に生きる以上『根源的な不自由さ』から逃れられないことを悟るわけです。根源的な不自由さとは例えばどのようなことなのか?

人類の歴史を知るものであれば「そもそも結婚と愛とは無関係」というのは常識。それにもかかわらず、この社会は「結婚が愛の証明となり、結婚した以上は夫婦は相互に所有し合う」という幻想で回っている。だから浮気をした有名人は平謝り。「そんなに謝らなくても」と擁護すれば「お前は不倫を肯定するのか?」と責められる。とても息苦しい。

そう。社会を生きることは息苦しいことなのだ。せめて旦那がその息苦しさをほんの少しでも共有してくれたらいいのに。。。。旦那はそんなことちっとも考えている素振りがない。とすればどうするか????

息苦しい社会をサバイブするための処方箋は?回答はさまざまです。『狂う』、『引きこもる』、『戦う』、『仲間をつくる』、『演じる』。。。他にはどのような方法があるでしょうか?是非、映画を観て確認してみてください。

プロポーズ大作戦

恋人がライバルと結婚しそうになると教会に乱入し、結婚式寸前の花嫁を奪い去るというテーマの作品があります。山下智久さんと長澤まさみさん主演の『プロポーズ大作戦』でも描かれた日本でもお馴染みのモチーフですが、その先駆けになった作品というのが今回紹介した『卒業』なのです。

親の敷いたレールから飛び出す若者の将来はどうなるのか?その未来が決してバラ色でないことは親の敷いたレールを飛び出した当事者が一番よくわかっている。だから『卒業』のラストはハッピーエンドとは断言できない。「結婚すれば幸せになれる」ということが幻想であることを身をもって知っている大人であれば、式場を飛び出した二人に「グットラック」と言葉をかけたくなるでしょう。

そういう意味において映画『卒業』は、「パートナー(仲間)と一緒に社会という荒野を生きる」という処方箋が提示されているわけですが、ここでは最後に日本人は結婚という儀式をそもそも誤解しているという点を指摘しておきたいと思います。

そもそも「結婚式寸前の花嫁を奪い去る」のはなぜなのでしょうか?そのような暴挙をするぐらいなら結婚式が終わって油断している時を狙って駆け落ちしたほうがずっと良いのではないでしょうか?

答え:結婚の契約相手は夫(妻)ではなく神だから。

離婚するということは「神との契約を破る」ことを意味し、神への冒涜とみなされるのです。だからキリスト教において離婚は罪悪視され、カトリックなどでは離婚を禁止しているのです。結婚の契約相手が神であることを知っていれば、花嫁を奪い去るタイミングが「結婚式寸前」であることの意味が理解できるのではないでしょうか。