ザ・ライダー ~ 社会という荒野を仲間と生きる

ザ・ライダー

「好きなことで、生きていく」というのは、一昔前のYouTube公式のスローガンでした。もしあなたが好きなことで生きているなら、あなたは毎日幸福を感じているでしょう。

しかし生きていればいろんなことがあります。ある日突然、好きなことが続けられなくなることだってあるのです。もしあなたがそのような状況に陥ったらどうするでしょうか?

予告動画)ライダー

ノマドランド監督作品

今回紹介した映画は、『ノマドランド』でアカデミー賞(作品賞)を受賞したクロエ・ジャオ監督の作品であり、平原インディアン(ネイティブ・アメリカン)のスー族の青年を生き様を描いた物語です。ちなみにスー族といえばリトルビッグホーンの戦い(1876年)にて、カスター将軍の第七騎兵隊を全滅させたことでも有名です。

さて人公のブレイディは、ロデオの最中に落馬して頭蓋骨を損傷したことにより後遺症に苦しみ、馬にも乗れなくなってしまうのです。しかしブレイディは物心ついたときからロデオとともに成長してきました。ですからロデオと無縁な生活をすぐに受け入れることができません。ブレイディはどのような決断を下すのでしょうか?

感情の働き

人は現実を受け入れられないとき、怒りの感情に囚われます。そして現実を受け入れる時には、悲しみに襲われ涙を止めることができなくなります。そのような感情の働きを、映画「ライダー」は丁寧に描いているわけですが、特に印象的なのはラストシーンです。

わたしはラストシーンを観た時、社会学者宮台真司先生の「社会という荒野を仲間と生きる」という本のタイトルにもなっている言葉を思い出しました。社会という荒野ではリスクをゼロにすることはできません。ですから一人で生きる場合には、生存確率が低くなってしまいます。だからこそ「仲間と生きろ」というアドバイスになるわけです。

とはいえ、そもそも「仲間と生きる」なんてことは当たり前のことであるはずです。なぜ当たり前であるはずのアドバイスが「当たり前」ではなくなっているのでしょうか?おそらくわたしたちが生きる社会において、「リスク」というものが徹底的に排除されていることに関係があるのではないでしょうか。

リスクゼロ信仰

道路を歩けばあらゆるところ信号があるし、道路標識があるし、いろんなルールが設けられています。そのほか、子どもは公園で遊ぶなとか、スケボーは禁止とは、コロナ禍においては路上で酒を飲むなとか、、、、いろんなルールをわたしたちのほとんどは受け入れています。

しかしどれだけ頑張ってもリスクはゼロにはならないのです。しかし残念ながらそのことを理解できない人たちはたくさんいるのです。どれだけ頑張ってもリスクはゼロにできないことを理解できない人たちは、何かしらのリスクが顕在化するたびに新たなルールを導入しようとします。

実際問題としてコロナ禍の日本ではそうなっています。自粛要請の中身は少しずつ厳しくなっています。時短営業⇒酒類の提供禁止⇒20時以降はすべての灯りを消すというように小池東京都知事の『要請』もエスカレートしていますが、どれだけ頑張ってもリスクはゼロにならないのです。

念仏主義はヤメロ

どれだけ頑張っても、泣いて神様にお願いしても、、、、、世の中には「法則」というものがあり、法則を無視したところで効果は得られないのです。冷静になって考えれば誰にだってわかることでしょう。

例えば「癌よ治れ」と唱えれば病気が治るなら医学は必要ありません。「不況を脱出したい」と唱えれば好景気になるなら経済学も必要ありません。そんなことは当たり前のはずなのに、不思議なことに日本の政治家たちは「ステイホーム」や「自粛要請」を唱えていれば、コロナとの戦いに打ち勝てると信じてるのです。

自然法則・社会法則といったものを無視しているにも関わらず成果がでてしまうことを一般的には「奇跡」といいます。奇跡は素晴らしいものです。奇跡をテーマにした映画「ミナリ」を鑑賞すれば、あなたが仮に無宗教論者であったとしても神様をを信じたくなる気持ちになるかもしれません。

しかし奇跡を起こせるのは「神」だけなのです。神の被造物たる人間には奇跡を起こすパワーはありません。だからこそ世の中にある法則を発見し、目的を達成するために役立てようとすることが「科学的な態度」として推奨されるわけです。

とはいえ法則を発見できたとしても、それですべてをコントロールできるわけではないのです。天気予報により雨が降るらしいことまでは予測できたとしても、わたしたちにできることは限られています。そう。繰り返しになりますが、ちっぽけな人間ひとりにできることは限られているのです。

そう。現実を受けれるとはそういうことなのです。自分がスーパーマンではないという現実を受け入れることは悲しいことかもしれませんが、現実を受け入れることのできる人間だけが仲間と一緒に先へ進むことができるのです。