セルフコーチング 虎の巻

本レポートであなたにお伝えしたいことは「セルフコーチングの極意」です。コーチングを理解するためのポイントは実にシンプルです。それは・・・・「コーチングはアメリカ製」であること。そのことをキチンと理解することに尽きるのです。

しかしコーチングに興味をもったほとんどの人が、コーチングに関する書籍を読んだはいいものの、コーチングが「アメリカ製」であることをあまりよく理解していません。

そしてなんとなくコーチングを実践し、そしてコーチングによる効果を得られないまま立ち往生し、「コーチングはあまり役に立たない」と判断して、最終的にはコーチングをゴミ箱に捨ててしまうのです。

コーチングの技術をあなたの人生の敵にするのではなく味方にしてほしい・・・という願いから、本レポートを執筆することにしました。「コーチングの極意」についてもわかりやすく説明しています。

本レポートを読めば、あなたの目から大きな鱗(うろこ)が落ちるでしょう。コーチングに対する見方が180度変わり、「あなたが、あなたの手で、あなたの人生を変える」きっかけになるはずです。是非とも最後までお付き合いください。

自分で自分の殻をやぶる

わたしはコーチングとの出会いによって人生を救われてきた人間です。中学生の時に日経新聞の広告欄でたまたま目にした「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル著)と出会ってから、偏差値37から受験勉強をスタートさせて最終的には偏差値73にまで上げて志望校に合格しました。

それから就職・恋愛・夫婦関係・脱サラ・投資・ビジネス・ダイエットなどの分野で、仲の良い友人からも「お前には無理だよ(笑)」とやんわり否定されるような状況を何度も突破してきました。

例えば「あなたの学歴じゃ無理でしょ(笑)」といわれながらも某外資系コンサルティング企業の戦略部門の内定を勝ち取りました。

イケメンでも高身長でもないあなたじゃ告白するだけ無駄(笑)」といわれながらも、意中の女性との交際をスタートさせ、今でも仲良く暮らしています。

あなたは参謀タイプだから独立するなんて無理なんじゃない?(笑)」といわれながらも、会社員時代と比べると比較にならないほど充実した毎日を送っています。

投資なんて大丈夫?怖くない?(笑)」といわれながらも、周囲の友人が誰も「ビットコイン」を知らないタイミングで仮想通貨を購入し、認知度が上がった頃に高値ですべて売却しました。

誰もあなたのことを知らないのに、誰があなたのブログやメルマガを読むの?(笑)」といわれながらも、月間50万PVのブログ構築・メルマガでの情報発信・独自教材の開発・マーケティング・セールスにも挑戦し、すべてやり遂げてきました。

コーチングというものは正しく理解した上で実践すれば、あなたがあなた自身の手で「自分の殻を破る」強力な武器になります。しかしそのためには繰り返しになりますが、「コーチングがアメリカ製」であることを理解することが必要不可欠なのです。

あなたも周囲の人から「あなたには無理でしょ(笑)」といわれてしまうようなことをやり遂げたいからこそコーチングに興味をもったのでしょう?次はあなたの番です。そのために本レポートを執筆しました。

前置きが長くなりましたが、早速、「コーチングがアメリカ製」であることの意味についてわかりやすく解説していきたいと思います。

コーチングは輸入品

日本で購入した家電製品を海外にもっていけば、すぐに使えるでしょうか?答えはノーでしょう。コンセントのカタチが違ったり電圧も異なるので、コンセントの変換プラグや変圧器を経由させなければいけません。

では「自己啓発」や「コーチング」といったものはどの国の製品でしょうか?そう。自己啓発もコーチングも日本に持ち込まれているもののほとんどが「アメリカ製」なのです。

家電や車であれば、製品をみればすぐに「アメリカ製」であることを意識するでしょう。しかし自己啓発やコーチングは、あなたの目の前に持ち込まれた時点で「日本語」になっているため、アメリカ製であることを見過ごしてしまうのです。

アメリカ製の「コーチング」を日本人にそのまま使ったら機能するでしょうか?答えはノーでしょう。アメリカ人のために発明されたコーチングが、そのまま日本人に役立つわけがないのです。

とはいえアメリカ人の発明品を他国に輸入したはいいものの、無残にも失敗するなんてことは珍しいことではないのです。例えば・・・

賃金2倍⇒生活水準2倍?

アメリカの経済学者、アルヴィン・ハーヴィ・ハンセン(元ハーバード大学教授)がインドのあるコミュニティの改革に携わったとき、そのコミュニティの賃金をそれまでの2倍にしました。

しかし翌年ハンセン教授が再びそのコミュニティを訪問すると、驚きの光景が目に飛び込んできました。なんと・・・このコミュニティの生活水準は一向に変わっていなかったのです。

「賃金が2倍になれば生活水準も2倍になるはず」とハンセン教授は思い込んでいました。しかし現実はそうなりませんでした。なぜコミュニティの生活水準は変わらなかったのでしょうか?

答え:賃金が2倍になった彼らは、労働時間を半分に減らしたから

そう。「賃金が2倍になったら収入が2倍になり生活水準も豊かになる」と考えること自体が、実のところ資本主義的な発想なのです。

資本主義以前の前産業社会における労働者の関心は、『伝統的な生活水準を維持すること』にあるのであって『生活水準を向上させること』ではないのです。

ハーバード大学教授ですら『経済学』をそのまま他国に輸入しても機能すると勘違いしていたのです。コーチングも同様です。アメリカ製のコーチングを日本でそのまま活用できると考えること自体がナンセンスなのです。なぜか?

その理由はシンプルです。アメリカ人とインド人の考え方が異なるように、アメリカ人と日本人では考え方が異なるからです。では具体的にどのような点において、日本人とアメリカ人の考え方は異なるのでしょうか?

因果律

「石の上にも三年」ということわざにもあるように、日本では修行すること自体が美徳であると考えられているフシがあります。そのため日本人はエジソンの言葉である「99%の努力と1%のひらめき」すら誤解しています。

エジソンの真意は「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダになる」ところにあるのに、日本人は「努力すれば道が開ける」と勘違いして理解しているのです。なぜこのように勘違いするのでしょうか?

それは日本人が仏教の影響を強く受けているからです。事実、釈迦も悟るためにはすぐにでも出家して修行をスタートさせることを推奨しています。なぜならば仏教においては、誰でも悟れるかわりに厳しい修行が必要であると考えられているからです。

つまり仏教には『因果律』の発想が根底にあるのです。ひらたくいえば「修行」という原因があって、「悟る」という結果が得られるという考え方です。ですから悟るためにはキビシイ修行を果たさなければなりません。

例えば「千日回峰行」という修行があります。険しさを極める山中を1日48km、年間およそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続ける。という修行です。しかしそれでも修行は終わりません。

「千日回峰行」を果たした者にしか許されない「四無行」という修行もあります。一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず、これを貫くこと9日間、堂にこもり真言を唱え続ける。という修行です。

そして千日回峰行や四無行を果たしても修行は続きます。あなたは「いつまで修行すればいいの?」と疑問に思うでしょう。

しかし仏教においては、弥勒菩薩ですら悟るために修行に励んでいるのです。そう簡単に悟るまでの修行が終わるわけがないのです。

少なくとも仏教ではそのように考えているし、「自分は無宗教」であると信じて疑いもしない日本人も無意識に『因果律』に囚われています。

目的論

あなたは驚くかもしれませんが、コーチング発祥の地アメリカでは『因果律』の発想は皆無です。なぜならばアメリカという国は、カトリックに反抗するプロテスタントたちが建国した人造国家だからです。

実はプロテスタントは『目的論』という『因果律』とは真逆の考え方をもっています。目的論とはひらたくいえば「設定された目的へむけて結果が収束してゆく」という発想です。そう。因果律と目的論では、論理のベクトルが正反対なのです。

コーチングの創始者、ルー・タイスは敬虔なクリスチャンです。である以上、因果律の考え方がコーチングに組み込まれることなどあるわけがありません。

その証拠にコーチングではまず『ゴール設定』があり、ゴールを実現するためのあらゆる行いは『ゴール設定』の次にくると教えています。

修行したらその先に見える景色があるさ・・・などと因果律の考え方に沿ってコーチングする人はいません。どのコーチも「未来の自分が見ている景色を想像してから行動するべし」と唱えています。

つまり「未来の自分」という『結果』が先にあって、未来の自分を実現するためのあらゆる行動という『原因』はあとにくるのです。これぞまさに目的論的な発想そのものではありませんか。

実例:受験勉強

因果律と目的論についてそれぞれ説明しました。ここでコーチングにおいて、なぜ?目的論的な発想をする必要があるのか?ということについて説明しておくことにしましょう。

因果律的な発想に囚われると、どうしても目標が「現実的なもの」になりがちです。現在の自分の殻をやぶらなくても実現できそうなことを目標として設定してしまうのです。

なぜならば因果律的な発想をすると、「やり方」がわかる⇒目標を立てる、という順序で目標を設定することになるため、やり方がわからないことは最初から目標として除外されてしまうからです。

例えばきっとあなたも経験したはずの受験勉強について考えてみるのがわかりやすいのではないでしょうか。わたしが受験勉強をスタートさせた当初、わたしの偏差値は37でした。

現実的に考えると「偏差値50の学校に合格すれば御の字」という発想になり、「まずは基礎的な知識から固めていきましょう」という方針で受験勉強をスタートさせることになるでしょう。

しかし中学生のときのわたしが最初にやったことは、「心の底から絶対に合格したい志望校」を探すことでした。その結果、少なくとも70以上の偏差値がないと志望校に合格する見込みがほとんどないことがわかりました。

わたしは「37しかない偏差値を70以上にする方法はないか?」と頭を働かせることにしたのですが、探せば方法はいくらでもあるものです。「やったほうがいい」と思われることはすべてやり、結果的には志望校への合格を勝ち取りました。

つまり因果律的な発想をする人は「現在の自分を基準にして目標を立てる」⇒「できるだけ頑張る」という行動パターンに慣れてしまっているので、なかなか自分の殻をやぶることができないのです。

その一方で目的論的な発想をする人は「未来の自分を基準にして目標を立てる」⇒「実現する方法を探す」という行動パターンをするので、自分の殻をやぶるような行動と選択を自然と繰り返すようになり、最終的には周囲が驚くような結果を叩き出してしまうのです。

まずは信じる

わたしが受験勉強をスタートさせたときに最初にやったことは「心の底から絶対に合格したい志望校」を探すことでした。

受験勉強だけでなくコーチングの出発点は、心の底から・・・獲得したいものはなにか?守りたいものは何か?学習したいことはなにか?どのような関係性を構築したいのか?・・・ということを考えることであり、なおかつそれらが実現できると信じることにあるのです。

まずは信じる」という発想はもちろんキリスト教から由来しています。同時に日本人がキリスト教やコーチングを理解できない最大の原因もここにあります。

日本人であればほとんどの人が「あなたは神を信じますか?」と質問されれば、「なぜ?神を信じることができるのですか」と逆質問したくなるでしょう。

なぜならば何事も『根拠』(神を信じる理由)がないと、『結果』(神を信じる)が得られるはずがないと考えるのが因果律的な発想というものだからです。

だから「神を信じますか?」と問われれば、「ご利益があれば神を信じますよ」などと答えたくなるのが日本人でしょう。しかしこれは「神への冒涜」になるのです。

なぜならば神を信じてもらうために、神がご利益を準備して人間に奉仕しなければならないのだとすれば、神が人間の召使いになることを肯定することになるからです。まさに「神への冒涜」でしょう。

クリスチャンが神を無条件に信じるように、「現在のあなた」が「未来のあなた」の幸せや成功を根拠もなく確信できるかどうか?が、コーチングの出発点であり極意なのです。

未来記憶の創り方

キリスト教では「神への信仰がすべて」であり、「あーしろこーしろ」と行動を求めることはありません。

もちろんコーチングにおいても「未来の自分の幸せや成功をまずは信じる」ことが最重要ポイントである・・・と断言してもいいくらい重要なことであることは確かです。

しかしコーチングは宗教ではありません。「信じる」だけでは現実の世界は変わりません。「信じる」ことの後にやるべきことがあるのです。では何をやるべきなのか?

本レポートの続きは『未来記憶の創り方』という2万文字弱のレポートにまとめましたので、明日の朝8時頃にお届けします。それではまた明日お会いしましょう。