本レポートは「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を実践する上で役立つ『不安スパイラル』、『勇気スパイラル』という2つの概念について詳しく解説します。興味のある方は、是非とも最後までお付き合いください。早速はじめましょう!!!
わたしたちは幸せになりたいと願っています。そしてわたしたちは幸せになるためには「自由」が必要だと感じています。でも・・・・「自由」って一体なんでしょうか?
アルフレッド・アドラーの思想を紹介した「嫌われる勇気」にはこんな記述があります。
嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです。
【引用:嫌われる勇気】
「嫌われる勇気」の記述はちょっと哲学的な説明なので、ほとんどの人が経験したことのある「学校」というキーワードを手がかりに自由について考えていきたいと思います。
例えば大昔の人たちは学校に行きませんでした。当たり前の話ですが、学校がなければ学校にもいけません。学校がない時代の人は、そもそも学校に行くという選択肢がなかったので、学校に行かないことを「不自由」とは思わなかったのです。
やがてお金持ちの子どもは学校にいけるけど、貧しい家の子どもは学校に行けないという時代がやってくると、学校に行くという選択肢があるのにそれを選べないという「不自由感」が生まれます。
以上の議論からわかることは、裏を返せば・・・・・「選択肢を知っていて、それを選べる」から「自由」を感じることができるということです。
とはいえ「選択肢を知っていて、それを選べる」ことが「自由」だとすれば、現代は自由を感じるのが極めて難しい時代です。なぜならば・・・・「選択肢が多すぎるから」です。
世界中に旅行にいけるけど、どこに行けばいいかわからないし、「Amazonプライム」、「Kindle」、「Netflix」などの動画の定額制サービスに加入すれば、たくさんのコンテンツにアクセスできますが、どのコンテンツを楽しめばいいのかわからない・・・・という経験があなたにもあるのでは?
これまでの議論をまとめると、自由を感じるためには、以下、3つの条件が必要であることがわかるはずです。
自由の条件が明らかになれば、あなたが自由を手に入れるためにやるべきことは明らかになってきます。
とはいえ、選択肢を探すにしても、環境を手に入れるにしても、選ぶ能力を鍛えるにしても、『思考錯誤』する必要があります。しかし・・・【まずはやってみて!】とアドバイスされたところでまずはやってみることができないから多くの人が困っているのもまた事実なのではないでしょうか?
そもそも「何をやったらいいかわからない」し、「自分にそれができるとも思えない」から困っているので、「まずはやってみて!」とアドバイスされても困ってしまうのです。
どうすれば・・・・・「何をやったらいいかわからない」し、「自分にそれができるとも思えない」という壁を突破できるのでしょうか?
資本主義を研究したカール・マルクスは、資本主義は資本主義そのものがはらんでいる矛盾ゆえに崩壊すると予言しました。
「資本家が労働者を搾取し続ける社会なんてものは存続しないだろう」というのがカール・マルクスの予想だったわけですが・・・・予想は大外れ!!!!
事実、わたしたちは「世界の上位1%の富裕層だけで世界全体の4割近くの富を独占している」という時代を生きています。
カール・マルクスは「共産党宣言」で「万国の労働者よ、団結せよ!」という有名な言葉を残しましたが、、、、労働者は「団結できなかった」のです。
むしろ団結しているのは「成功者」というのが現実です。成功者は「コラボ」が大好きです。(あなたの好きなYouTuberも別の成功者と「コラボ」をしているのでは?)
なぜ労働者は団結しないのか?そもそも誰と団結したらいいかわからないという根本的な問題もありますが、「尊厳値が低いから」という問題もあります。
能力が乏しいからといって過剰にみじめにならずに、「自分がそこにいていいんだ」、「自分は生きていていいんだ」、「自分は他者に受け入れられる存在だ」と思えるのが「尊厳」です。
しかし尊厳の度合いが低いと、人々は団結する以前に、自分の意見すらまともに主張できなくなるのです。
「こんなことをいったら自分はバカにされるんじゃないか?」とか、「こんな自分は社会的に許されない存在なんじゃないか?」と思わざるを得ない状況では、他者の前で堂々と自分の意見を主張することが難しいのです。
自分に自信がなければ、自分が苦しい状態にいる原因が、社会のほうにあるとしてもついつい「悪いのは自分」と考えてしまうようになるのです。
そもそもなぜ尊厳値が低いのでしょうか?結論をいえば「多様性がないから」です。
例えば「受験勉強」。偏差値で学生を順位付けして「なるべくいい大学に入ることが成功」という競争にたくさんの人が参加していますが、裏を返せば「勉強ができる」こと以外に数多くあるはずの「尊厳を獲得するリソース」が子どもの頃から奪われているのです。
尊厳の源になるはずのものは、「数値化」されないため価値を認められずらいのです。そして「なるべくいい大学」に入るという競争を終えると、「なるべくいい会社」に入社し、「なるべくいいポジション」を獲得するというゲームが続くわけです。
そういうゲームを続けていると結果的にどうなるかといえば、上位3%ぐらいが「勝ち組」になりそれ以外は「負け組」になります。
事実、東京大学に入っても官僚になっても官僚のなかで「どの省庁に入るのか?」ということでヒエラルキーが生まれ、財務省に入社しても「同期の上位3名」に入らないと出世コースを進むことができないのです。
もともと日本には苛烈な受験競争はなかったし、学校にいけば親の職業だってバラバラでした。親が資産家である場合もあれば、医者、不動産、肉屋、ヤ●ザなんてこともありました。
子どもにも「勉強できなくても家業を継げばいいか」という選択肢もありました。しかし・・・・今では親は口をひらけば「勉強しろ!」としかいいませんし、尊厳を獲得するために多くの人が「資格勉強」などに挑戦していますが、「受験勉強」が「資格勉強」に変わっただけで根本的な解決にはなりずらいのです。
どうすれば・・・・「多様性が失われた社会」のなかで、わたしたちは尊厳を獲得することができるのでしょうか?
ここまでの内容を整理しておきましょう。
「自由を手に入れるためには試行錯誤が必要だが、思考錯誤するためには尊厳がなければならない。しかし多様性が失われた社会では尊厳を獲得するのも難しい」ということをお伝えしてきました。
ここであなたは2つのことを疑問に思うでしょう。1つ目は「何のために試行錯誤するの?」という疑問。2つ目は「尊厳の調達先はどこにあるの?」という疑問です。図にまとめると、以下のようになります。
実は・・・・2つの疑問の答えを一緒にするとスッキリするのです。
「勇気(試行錯誤)」と「尊厳(多様性)」の橋渡しをする概念とは、どのようなものでしょうか?
何年か前にクライアントからメールが届きました。メールには「あなたはなぜ親切なのですか?」というような質問が書かれていました。
意表をついた質問にわたしは驚きましたが、あまり深く考えずに「自分が幸せになるからです。」というようなことをメールで回答しました。つまり・・・・
わたしは誰かが喜んでくれて、「なぜ親切なのですか?」というようなメールをもらうことが素直に嬉しいのです。アルフレッド・アドラーの思想を紹介したベストセラー「嫌われる勇気」の言葉を借りれば、「他者貢献」こそが、「試行錯誤する目的」であり「尊厳の獲得先」なのです。
『勇気』、『尊厳』、『他者貢献』の関係を図にまとめると以下のようになります↓↓↓
つまり「クライアントに喜んでほしい(1.勇気)」ので、「価値ある情報を提供(2.他者貢献)」し、「感謝のメールをもらって嬉しくなる(3.尊厳)」ということを繰り返すことが、自分の社会的な価値を高める秘訣なのです。
誰かの役に立って感謝されることが「他者貢献」なので難しいことは何もないはず・・・・・なのですが、いざ他者貢献を実践するとなると「何をしたら他人が喜んでくれるのかわからない」とか、「お節介だと思われるんじゃないか?」ということが気になって、なかなか前に進めない人が多いのです。
他者貢献を実践するコツはたくさんあって伝えきれないので、本レポートでは他者貢献のコツを一つだけ紹介しておきたいと思います。他者貢献の大前提はズバリ・・・・「自分が楽しいことをやる」ということです。
他人に喜んでもらうことと、自分が楽しいことをやることは矛盾するのでは?と思うかもしれませんが、実は矛盾してはいないのです。なぜならば・・・・・自分が楽しいことをやっていないと、他人に喜んでもらうことが難しいからです。
あなただって一緒に遊んでいる友人が不機嫌だと、自分が100%楽しむのは難しいのではないでしょうか???他人が不機嫌だと自分も楽しめないということは、裏を返せば「自分が不機嫌だと他人も楽しめない」ということなのです。
もしあなたが病気になって外科手術を受ける場合、「仕事だからイヤイヤやっているんですよ。」という医者と、「手術をすること自体が大好きです。」という医者のどちらを選ぶでしょうか?(ドクターXでしょ?)
そう。自分自身がイヤイヤやっていることは、自分を不幸にするだけでなく、他人も不幸にする可能性を高めるのです。
さて・・・・・・わたしは幸せになるために「勇気スパイラル」を回すことを推奨しているし、自分もそのことを強く意識して毎日生きているのですが、勇気スパイラルを回すことはやってみるようとすると意外に難しいのです。
なぜならば・・・・ほとんどの人は勇気スパイラルではなく、不安スパイラルを回しているからです。不安スパイラルとはどのようなものでしょうか???
ライブドアの創業者堀江貴文(ホリエモン)さんはこんなことをいっています。
頭大して良くない奴がいい大学なぞを目指して時間浪費して借金して卒業して就職して大して稼げないというのは絶対損なのでやめとけば?って言ってるだけです。完全に親切心です。それを何で否定する?わざわざ私が人を損するような方向に向けさせようとしてると思ってる?
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) April 28, 2022
その一方で「2ちゃんねる」開設者西村博之(ひろゆき)さんはこんなことをいっています。
大学は卒業しておいたほうがいいです。結局、企業は学歴というか、偏差値で学生を判断するからです。だから、勉強が苦ではないのであれば、まじめに勉強したほうがいいです。
【出典:PRESIDENT Online】
一体どちらの主張が正しいのでしょうか?答えは「どちらも正しい」のですが、理解する鍵は「パイプライン・システムの亀裂」(注:社会学者、山田昌弘先生の専門用語)にあります。
そもそもパイプライン・システムとはなんでしょうか?
日本の学校システムは典型的な「パイプライン・システム」でした。一度パイプラインに入ると、何度かの分岐を経て、パイプの中の子どもたちは自動的にある職業、ある社会階層に振り分けられます。
パイプラインの分岐で子どもたちはより上位の学校を目指して勉強し、受験勉強の努力は自分の実力に見合った学校への入学という「成果」によって報われます。大学を卒業したあとは学歴に見合った職業に就職し、さらに組織内で昇進していく。
山田昌弘先生曰く、このパイプライン・システムに亀裂が入っているというのです。
パイプの出口が変化し細っているのに、パイプ自体の太さは変わらない。大学院のように、逆に、パイプ自体が太くなってしまったものもある。
その結果、従来の学校教育システムの要である「パイプライン」に亀裂が走り、「漏れ」が生じる。つまり、パイプを流れていても、そのままでは、職に就けない人が増大するのだ。
つまり、学校に入って卒業するという「勉強努力に対する確実性」がなくなる事態が生じるのだ。
【出典:山田昌弘「希望格差社会とやる気の喪失」『中央公論』2005年4月号】
「パイプライン・システムの亀裂」により『リスク化』と『二極化』が生じます。
リスク化とは「頑張って大学を卒業しても、その努力が報われる保証がない」というように、努力と成果の安定的な関係が崩れる変化のことです。
その一方で二極化とは「努力が報われた人」と「努力が報われなかった人」の間に歴然たる格差が生じることです。一般企業でも、正社員と派遣社員、アルバイトとの間に学歴や能力ではほとんど差がないにもかかわらず待遇面や将来の見通しで大きな差がつくという事例がたくさんあります。
山田昌弘先生はこんなこともいっています。
重要なのは、パイプがなくなったわけではないことである。大卒だからといってホワイトカラーになれないということは、大学に行かなくてもいいことを意味しない。大学に行かなければホワイトカラーになることはもっと難しいということである。
【出典:山田昌弘「希望格差社会とやる気の喪失」『中央公論』2005年4月号】
そう。リスク社会では必ず二極化が進行するのですが、ここで見過ごせないポイントは「努力におけるごくわずかな入力差が、成果においては巨大な出力差になることが常態化する」ということです。
少しの努力の差が将来の大きな出力差になるという状況では、「将来役立たなそうなものを学ぶ余裕はない」と判断したくなる気持ちもわかります。
事実・・・・高校まで同じクラスでいっせいに授業を受けてきた学生が大学に入学したとたんに、どの授業を選べばいいのかわからなくなって、「何のために勉強するのか?」、「この知識は何の役に立つのか?」と質問するのが当たり前になっています。
ここで「何の役に立つのか?」と質問する学生が気になっているのは「得するか?損するか?」ということなのですが、日本の学生は受験勉強のたびに損得を考えることになるので、学校の友人が「敵」になるのです。
例えば偏差値50のあまり賢いとはいえない進学校に通っていた「とある男性」は、こんな思い出があるそうです。
大変だったことは、周りの友だちだと思っていた人からやっかみを受けたことだ。わたしは順調に成績が伸びていったが、周りの人は必ずしもそうではなかった。(中略)
私は偏差値40台から公立大学に合格し、その彼は見事不合格だったので、その時ほど気分爽快だったことはない。
【出典:キャリコネニュース】
ここで注目するべきは「気分爽快だった」という男性の率直な意見です。周りの友達と同じ大学を受験して、その友人が(自分が受かった)大学に落ちることが「気分爽快だった」というのですから、周りの友達だと思っていた人たちは「知り合い」だったのでしょう。
さて・・・・ここからが本題です。
受験勉強に必死になるのは「将来、負け組にならないため」だったり、「将来、勝ち組になるため」なので、ようするに受験勉強のベースには『損得勘定』があるのです。
そして受験勉強を頑張らなくてはいけない理由は「競争」があるからであり、競争である以上は、「勝ったら嬉しい」(優越感)し、「負けたら悲しい」(挫折感)のです。
まとめると以下の図のようになります。
日本人で受験勉強を経験して、新卒一括採用を経てマジメに仕事をしてきた人ほど、「不安スパイラル」を回すことが得意になっています。なぜ得意なのかといえば、不安スパイラルを回すことを子どもの頃から当たり前だと信じてやってきているからです。
そもそもなぜ「不安スパイラル」というネーミングなのか?といえば、勝っても負けても不安から逃れることができないからです。勝てば「負け組にならないように頑張れ!」、負ければ「勝ち組になりたかったらもっと頑張れ!」と発破をかけられる状態が、競争をやめるまでずっと続くのです。
冒頭で紹介した堀江貴文さん(ホリエモン)と西村博之(ひろゆき)さんの発言に話に戻します。
今回お伝えしたかったことは、「大学なんていく意味ない」というホリエモンのアドバイスに従う場合でも、「自分に才能がないと思う人は、勉強して大学を卒業したほうがいい」というアドバイスに従う場合でも、「前進する」必要があるということです。
「前進する」動機が、不安なのか勇気なのか?の違いなのですが、あなたは・・・・・「勇気スパイラル」と「不安スパイラル」のどちらを回しますか?