日本社会の サバイバル戦略

一度きりの人生を楽しみたいですか?」と質問されれば、誰もが「もちろんです!」と答えるでしょうが、「日々の生活のことで大変でそれどころじゃない!」というのが本音ではないでしょうか?

実際問題、いろいろな人がいろいろな悩みに直面しています。たとえば・・・・・

「過労死の危険性を感じている」、「うつ病を発症し退職の危機に」、「給料が低くて結婚できる望みがない」、「子どもを保育園に入れられない」、「親を老人ホームに入れられない」、「子どもがトー横キッズの仲間になり不登校に」、「家族がカルト教団に多額の献金をしている」・・・・etc

日本の政治は何をやっているのでしょうか?振り返ってみると・・・・・

検討を加速する

物価が上昇し賃金は上がらない状況について、岸田総理は「現実的に検討を加速する」という意味不明な日本語で決意を表明。旧統一教会との関係を指摘された国会議員は誰一人として辞職せず、国会では中条きよしが新曲を宣伝するという自堕落ぶり。

岸田総理は「所得倍増」を目指すといっていたのに、いつの間にか「資産所得倍増」になり、気づいたら「所得増税」するだけでなく「走行距離課税」なるメチャクチャな計画が噂になっています。

バブル崩壊から日本経済の成長は停滞し、とうとう円の価値は1970年代と同水準になりました。その一方で国民負担率はといえば、江戸時代の農民と同水準の5割弱ですから、ますます豊かに暮らすことが難しくなっています。

なぜ日本政治の無策・無責任が目立つのでしょうか?なぜ日本社会は良くならないのでしょうか?日本社会がよくならない理由はシンプルです。それは・・・・

伝統主義

残念ながらそもそも・・・・・日本人には「社会」をつくった経験がないのです・・・・・というと驚くかもしれませんが、事実、日本では学校の校則ですらそう簡単には変えられないことを考えれば、納得してもらえるのではないでしょうか?

他にも年長者の若者に対するお説教。どんなまわりくどいお説教でも「お前は世間を知らない。世間とはそんなものじゃない。」と要約できます。

もしこのようなお説教に対して「世間とはそんなものではないかもしれませんが、それは不当です。そんな不当な世間は変革しなければいけません!」と反論したらどうなるでしょうか?

きっと年長者たちは「お前のためを思って、人が話をしているのに、生意気なやつだ!」と怒りながら猛反論してくるでしょう。

そう。日本においては「現状」と「理想」の区別があまりなく、「現状」がそのまま『伝統』であり正しいこととされてしまうのです。ですから現状を変革するなんてもってのほかで、考えるだけでもとんでもないことになってしまうのです。

そう。日本は伝統主義の国なのです。

作為の契機

故・大塚久雄東京大学教授は、伝統主義について以下のように説明しています。

伝統主義

先祖や父母たちがやってきた、そして、自分たちも今までずっとやってきた、そういうことがらを、過去にやった、あるいは過去に行われたという、ただそのことだけで、将来における自分たちの行動の基準にしようとする倫理、あるいはエートスです。

あるドイツの社会学者は伝統主義のことを「永遠なる昨日的なもの」と表現しましたが、「永遠なる昨日的なもの」をうち破ったのが近代における「作為の契機」という考え方です。

作為の契機とは「社会は人間がつくったものであり、したがって、人間によって変えることができる」という考え方です。

もしかしたらあなたは「そんなこと当たり前でしょ?」と思うかもしれません。しかし世界史を振り返れば、「社会は変えられる」という考え方のほうが例外中の例外なのです。

たとえばインドのカースト制。インド人にとってカースト制は神のつくったものなので、人間がこれに触れることは許されないし、これを変革することなどインド人は夢想もしないのです。

中国の政治制度も同様です。儒教の教祖の孔子でさえも「述べてつくらず。」(論語)といっています。中国において重要なことは新しいことを創作することではなく、古くからの伝統を継承することなのです。

もちろん日本も同様です。日本人の行動基準は「滅私奉公」(めっしほうこう)です。ここで重要なことは、滅私奉公の『公』とは、学校、企業、地域社会などの「自分が所属する共同体」のことであって、日本社会のことではない・・・・・ということです。

ですから政治家であれ、商社マンであれ、電通マンであれ、官僚であれ、エリートたちは口では「国のため」とか「国民のため」などといっていても、本当に気にしているのは「日本社会」というよりは、もっと別の何かなのです。それはズバリ・・・・・

自分の立場

日本人にとって重要なことは、自分が所属している共同体における自分の立場です。いわば「寄らば大樹」(共同体)における「陰」(自分の立場)を気にするのです。

たとえば新橋で飲んでいる会社員の愚痴や関心はもっぱら「社内の人事」についてです。最近では小学生ですら、自分が知らないうちに何かしらの計画が進行していることをおそれてグループLINEから目を離せなくなっているそうです。

共同体に構成員たちは、周囲の顔色をうかがいなら空気を読み、本音を隠すようになります。学校や社内の会議でも「本音」を語ることはありません。特にインターネットが普及してからは、本音を語る場はリアルな世界というよりはむしろインターネットの世界に移行しました。(例:ヤフコメ、2ちゃんねる)

ですからリアルな世界で本音が語られることがあるとすれば、会議の前の「根回し」のタイミングや、会議の後の「飲み会」の場で語られるのがもっぱらになってしまったのです。

さて・・・・・共同体における自分の立場ばかりを気にする人たちが・・・・・政治や経済や社会を変革できるでしょうか?

絶望的に困難

日本人による日本人のための変革といったものは、絶望的に困難です。理由はシンプルに・・・・・新しいことに挑戦すれば、共同体内部の既存勢力とぶつかるからです。

共同体内部の既存勢力とは「偉い人」のことです。偉い人とぶつかれば立場を失うリスクが高いので、本音では「このままではヤバイ」と思っていても、「長い物には巻かれろ」の精神で、ひたすら上からの指示を待ちそれに従ってしまうのです。たとえば・・・・・

第二次世界大戦後の東京裁判で裁かれたA級戦犯たちは、精神病認定された大川周明をのぞき、みな口々に「内心、忸怩(じくじ)たる思いはあったが、戦争をするという空気には抗えなかった」という趣旨の発言をしています。

政治家が空気に抗えないのは現代日本でも同じ。自民党の国会議員ですら「上ににらまれたら次の選挙でお金も公認ももらえない」といって、本音では理不尽だと感じることがあっても、党の決定に従うのです。(国葬、旧・統一教会 etc)

経済でも同様です。日本では大企業の社長から平の社員に至るまで「このままではヤバイ」と内心では考えているのに、一致団結して新しいことに挑戦するよりも、共同体内部の派閥争いに必死になってしまうのです。

結果・・・・・・・Google、Apple、Facebook、Amazonのような大企業が日本では誕生しない・・・・・日本が誇るトヨタ・日産・ホンダが、電気自動車(EV化)の波に完全に乗り遅れる・・・・・日本は化石燃料への依存度が高く、再生エネルギーの波に乗り遅れている・・・・・といった悲惨な状態になってしまっています。

これから日本社会が、よい方向に変わる可能性はないのでしょうか?

唯一の可能性

残念ながら・・・・・自分が所属する共同体内部の立場ばかりを気にする日本人は、自らの手で社会を変えた経験というものが、そもそもないのです。どうやって日本社会は変わってきたのでしょうか?

歴史を振り返れば、黒船でやってきたペリーの圧力が江戸時代を終わらせました。長崎と広島に落とされた原爆によるダメージが戦争を終わらせるきっかけになりました。東日本大震災が日本の原発政策を変えるきっかけになりました。

そう。本社会を変えるきっかけは「外圧」しかないのです。

裏を返せば・・・・・欧米の植民地にされるかもしれない恐怖を味わっても・・・・・東京大空襲で焼け野原にされて空腹に苦しんでも・・・・・東日本大震災で福島第一原発がメルトダウンを起こし水素爆発しても・・・・・

「このままだとヤバイから、経済・政治・社会を変えていかなければならない」というメンタリティーが、日本人に根付くことはなかったのです。日本人のメンタリティーとは具体的には・・・・・

日本人のメンタリティー

日本という国は、歴史が証明するとおり、当事者たちが問題を認識してたとしても、まるでなにごともなかったように無視して突き進む国なのです。

いわば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のが日本人のこれからもずっと変わらないメンタリティーである以上、次に日本社会が変わる時があるとすれば、それは「外圧」によりにっちもさっちもいかなくなった時でしょう。

仮に問題が表面化しても、「見たいものだけしか見たくない」という人間の習性が、不都合な真実をすべて「なかったこと」にしたり、不都合な真実を覆い隠す嘘により「隠蔽」されてしまうでしょう。

問題を隠蔽できない場合には、問題の本質にメスを入れることはせず、「やってる感」満載のあまり意味のない対策ばかりをアピールするでしょう。(例:統一教会問題)

さて、ここまでレポートを読んだ人は絶望的な気持ちになっているかもしれません。耳の痛い話ばかりで、そろそろレポートを読むのがツラくなっているかもしれません。

しかしそれでもわたしが希望のない話をした理由は・・・・・「一度きりの人生を楽しみたいのであれば、現実的には自力救済しか選択肢はない」ということを伝えたかったからです。

自力救済しかない

現実的には自力救済しか対策ができない理由はシンプルに・・・・・「外圧でしか変われない」という日本社会の特徴が変わらない以上、日本がこのままではヤバいことを認識している日本人が大半を占めていても、日本は変わらない可能性が高いからです。

たとえば日本人の「マスクいつまで続けるの?」問題。コロナ対策においては「換気」が重要なのであって、風通しのいい街中でマスクをする意味なんてほとんどないことは、すでに世界の常識になっているのに、日本人だけはマスクを辞められないのです。

なぜやめられないのかといえば、日本という共同体のなかでお互いに空気を読み合うからです。自分自身は「もうマスクはいいよ」と思っていても、マスクを外して立場を失う可能性を恐れて、他人がマスクをしていれば「とりあえず自分もマスクをする」のが日本人の行動原理なのです。

そう。大事なことなので何度でも繰り返しますが、日本社会の特性や、勤めている企業の風土や、地域の伝統や、先祖代々の習わしといったものを変えることはほとんど不可能なのです。いつの間にかマスクをすることも「マナー」になってしまいました。

である以上、あなたが「一度きりの人生を楽しみたい」場合には、「どうせ日本は変わらない」とニヒリズムに浸っている場合ではないのです。日本が外圧でしか変わらないことを前提にして、あなたとあなたの大切な人たちの生存確率を上げるために1日でも早く行動するべきなのです。

どうすればいいですか?

「自分の身は自分で守る必要がある」といっても、ほとんどの人が重い腰を上げられないことをわたしは知っています。

たとえばイジメの被害者になって死ぬほどツラいなら転校すればいいし、ブラック企業に勤めていて「過労死」の危険性があるなら会社を辞めればいいのに、日本人は自分の所属する共同体から抜け出すことよりも死を選ぶことが珍しくないのです。

なぜ?「死ぬほどツライ現実」が目の前にある場合でも、日本人は現状にへばりつき続けるのでしょうか?

理由はシンプルです。日本人にとって自らが所属する共同体のなかの世界がすべてであり、共同体という世界の一歩外にでることは、漠然とした不安やリアルな恐怖を感じさせることだからです。

こんなイメージをするとわかりやすいかもしれません。

日本では共同体のなかを「空気」が支配しています。共同体のなかは、明文化されていない暗黙のルールが「空気」のように存在します。

もちろん別の共同体のなかにも「空気」は存在します。しかしその空気は、今のあなたが吸っている空気とは違うものかもしれないし、そもそも自分が思う存分吸える空気があるかもわかりません。

だから「転校」したり「転職」するなどして別の共同体のメンバーになったところで、今より幸せになれる保証はない以上、「今の場所で、もう少し頑張ってみよう」と判断することは、珍しいことではないのです。

どうすれば・・・・・「自分で自分を守るための行動」を実行に移すことができるでしょうか?

自力救済の思想

わたしはアルフレッド・アドラーの思想を学び実践することを推奨しています。なぜならばあまり指摘している人はいませんが、アドラーの思想は「自分の身は自分で守る」を実践するのに役立つ自力救済の哲学だからです。

ちなみにアルフレッド・アドラーは、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨匠」と称され、世界的名著『人を動かす』の著者、D・カーネギーなど自己啓発のメンターたちに多大な影響を与えた人物です。

もちろん自力救済の思想や哲学は他にもありますが、アドラーの思想は宗教とは正反対の思想で、特定の誰かではなく多くの人の役に立つだけでなく、比較的簡単にアクセスできる上に、日本で市民権を得ているため、自信をもっておススメできます。

事実、アドラーの思想を紹介した「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」は、国内合計336万部、世界合計で870万部を突破するなどロングセラーになっています。

人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる」がうたい文句のアドラー思想を学習するおススメの手順は・・・・

まずは「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社:税込1,650円)を読んでみましょう。自己肯定感の低い青年が、アドラー思想に触れて変わるきっかけをつかむ物語です。

次に「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」(ダイヤモンド社:税込1,650円)を読んでみましょう。「嫌われる勇気」に登場した青年が、アドラーの思想を実践する覚悟を問われる物語です。

さらに「アドラー虎の巻」(パスワード:8765)を読んでみましょう。アドラーの思想を実践する上でのポイントをまとめていますので、参考になるはずです。

余裕があれば「信頼社会のサバイバル戦略」を読んでみましょう。アドラー思想を実践するイメージがつかめるはずです。

やりたいことは全部やれ!

わたしが気に入っている座右の銘に「やりたいことは全部やれ!」という経営コンサルタントの大前研一氏の言葉があります。

やりたいことは全部やれ!」は本のタイトルにもなっており、わたしも読んで刺激を受けましたが、残念ながらあまり参考にはなりませんでした。

なぜならば「そもそも自分のやりたいこと」がよくわからなかったからです。とりあえず「やりたいこと」があっても「それができる自信」もありませんでした。

しかし現状にしがみついていても不安は消えないため、いろいろな人たちがわたしたちの不安を釣りにして行動をうながそうとしてきます。

たとえば・・・・・・「受験」、「就活」、「婚活」、「投資」、「資格」、「英会話」、「ダイエット」、「投票」、「壺を買え!」などいろいろありますが、どれだけ頑張っても不安を払しょくできる保証はないのです。

なぜならば・・・・・それらはすべて「他人があなたにやってほしいこと」であって、「あなたがやりたいこと」ではないからです。どうすれば「自分がやりたいこと」を「やり続ける」ことができるのでしょうか?

3つの壁

本当に心から実現したいことがわからないし、やりたいことをやる自信もない・・・・・という状態から抜け出せない理由は3つあります。

1つ目は「自分を受け入れる壁」。自分のこれまでの人生を受け入れることは苦痛です。「運が悪かった」、「環境が悪かった」、「あの人のせいで」などと、運や環境や他人のせいにしてやり過ごしたくなる気持ちは痛いほどわかります。

2つ目は「目標を設定する壁」。意外かもしれませんが、本当に心の底から実現したいことを想像することは恐ろしいことなのです。安全圏から飛び出して挑戦し、挫折するぐらいなら「自分には無理だ」と諦めてしまうほうがずっと簡単です。

3つ目は「行動し続ける壁」。自分のこれまでの人生を受け入れて、本当に心の底から実現したいことのために行動しはじめると、身近な人ほどあなたの邪魔をするからです。身近な人にとって、あなたが変わるための行動のすべてが、自らの安全を脅かす危険な行動に映るのです。

以上、3つの壁を乗り越えることはほとんどの人にとって不可能に思えます。だから多くの人は「運」や「環境」や「他人のせい」にして、「自分には無理だ」と自分に言い聞かせようとするのです。

そして安全圏のなかでぬくぬくとリスクをとろうとせずに、他人にお金を渡して「わたしの人生をなんとかしてください!」と祈りながら「いつか」幸せになる「かもしれない」道を選んでしまうのです。

人生は短すぎる

きっとあなたは「他人があなたにやってほしいこと」ばかりやっているうちに、様々なしがらみに囚われてしまい、目の前のことを一生懸命やっているうちに生涯を終える・・・・・なんて人生を望んでいるわけではないでしょう。

当たり前ですが人生は短いのです。

自己啓発書や人格改造セミナーは「努力すればできる。夢は叶う」と鼓舞します。しかし奇跡は起こりません。生まれ持った「わたし」は「あこがれのあの人」ではないからです。

しかし過剰に絶望する必要はありません。たしかに日本は変わらないでしょうし、あなたも「憧れのあの人」ではありません。

とはいえあなたの生き方を変えることは不可能ではないし、仲間の輪を広げることも不可能ではありません。自分の身は自分で守るしかないのです。重要なことは、変えられないものを変えようとすることではなく、変えられるものを着実に変えていくことなのです。

アドラーの思想は「やりたいことは全部やる!」ためのヒントを授けてくれるはずです。あなたの健闘を祈ります。